衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

徳の教え(43)道徳経下篇・徳経(6)

徧用(へんよう)第四十三と言う副題がついています。 脱力、脱心し、天地(重力)に従う柔軟性こそが、目に見える強さをもコントロールできる唯一方法。 無になれば、どこにでも自由に入れるから。 ここからも無為の有益な点が伺える。 これは、何事にも通…

徳の教え(42)道徳経下篇・徳経(5)

道化(どうか)第四十二と言う副題がついています。 道の変化と言うこと。 見えない本質的なものの流れを時系列で重ねると道になり、道は円になって循環し、その円が幾重にも連なって繋がると螺旋になります。 循環は円であり、一つの太極です。 道は太極と…

徳の教え(41)道徳経下篇・徳経(4)

同異(どうい)第四十一と言う副題がついています。 道と言う本質的な法則性は、名前の付けようがない為、道と呼んでいますが、人によって様々な方法があり、本質が同じであれば方法は違っても良いもの。 道の本質を理解している人は、真摯にまた着々と調和…

徳の教え(40)道徳経下篇・徳経(3)

去用(きょよう)第四十と言う副題がついています。 循環と言う法則性は全てに通じています。 循環する動きは、元に戻ろうと言う動きと感応し合いながら巡っています。 震動、波動の原理です。 そして、震動、波動が起こるのは、常に変化していると言う事で…

徳の教え(39)道徳経下篇・徳経(2)

法本(ほうほん)第三十九と言う副題がついています。 本質に則ると言う事でしょうか。 昔はそれぞれ統一されるものがあった。 天は清らかさで一面を覆い、 地は土台としての安定と言う概念が基本となり、 神は霊妙さの象徴であり、 谷は凹んでいるからこそ…

徳の教え(38)道徳経下篇・徳経(1)

論徳(徳について論ず)第三十八 と言う副題がついており、道の教えから、徳の教えへと変わっています。 本当の徳とは、徳と言う事自体意識しない事。 徳を意識して何かをするのは徳ではなく、強欲。 本当の仁とは、目の前の人や出来事に素直に心を動かされ…

道の教え(37)

爲政(いせい)第三十七と言う副題がついています。 道徳経の前半となる道の経、道の教えの最後の章となります。 道はいつも無為だが、無為は何もしない事ではありません。 自然にありのままの循環をしていれば、うまく巡る事を指しています。 上にいる人、…

道の教え(36)

微明(びめい)第三十六 と言う副題がついています。 普通に考えていると思いもつかない事でも、時間をかけて深掘りしていくと、妙案が生まれます。一見反対の事が繋がってくると誰も信じないかも知れませんが、そこに妙があります。 鳳凰堂がなぜ、理解され…

道の教え(35)

仁徳(にんとく)第三十五と言う副題がついています。 道は目に見えず、耳に聞こえず、自身の感性と思考を醸成しない限りは認識できないもの。 普通は楽しい音楽、美味しい料理に気を取られ、道への興味すら沸きません。 しかし、一旦自身の人生、世の中の動…

道の教え(34)

任成(にんせい)第三十四と言う副題がついています。 全ての物事は道から派生しています。 あたかも水が道路から流れ、溢れた跡が道となるように。 しかも、道はそれを当然の自然の流れ、恵としているので、自ら誇る事はなく、支配しようともしません。 ま…

道の教え(33)

辯徳(べんとく)第三十三 と言う副題がついています。 徳とは何かを弁える。 聖徳(徳の大切さ)を語った後に弁徳を伝えています。 知足(足るを知る)等もこの章から来てます。 自分以外の人を理解している人は智があり、 自分を理解している人は聡明であ…

道の教え(32)

聖徳(しょうとく)第三十二と言う副題がついています。 道は、一人の人にとっては成長の型の一つであり、幾重にも連なる型を俯瞰して観たものを道と呼んでいるだけである。 つまり、道には決まった形も型もなく、それぞれの生き物で、それぞれの形の中で息…

道の教え(31)

偃武(えんぶ)第三十一 と言う副題がついています。 武力、暴力を使う事の戒めですが、単に肉体的な武力だけでなく、言葉や態度も武力になり得ます。 左と右は当時の使い方による解説で、東洋医学では、左は陽、右は陰。左をメインに使い、右は補助が必要な…

道の教え(30)

儉武(けんぶ)第三十と言う副題がついています。 武力は倹約すべしとでもいいましょうか。 武力は個人、集団の太極(自我、正義)。 太極は人が認識するためにはとても大切なものではあるが、太極が肥大化して他の太極に何かを強いれば、それは戦争、闘いと…

道の教え(29)

無爲(むい)第二十九と言う副題がついています。 何かを認識不足するには、有為と言う考えが必要だが、本質は無為。 太極から始めて、無極に帰る。 意識して、意識して、無意識下に置き、習慣化する。 無為自然と言われるようになった篇でもあります。 この…

道の教え(28)

反朴(はんばく)第二十八と言う副題がついています。 陰陽どちらも兼ね備える事の大切さを説いています。 男性性が強く、腕力に長けていても、女性性の象徴である優しさや包容力を維持していれば、あらゆる人から尊敬される。 あらゆる人から尊敬されれば、…

道の教え(27)

巧用(こうよう)第二十七と言う副題がついています。 巧く用いる事ですが、さて老子はどうやったら巧く用いたと言っているのでしょう。 巧く車を走らせると轍の痕がつかない。 巧く説明すると瑕疵(かし)がないので反論や質問もない。 計算が巧い人は算盤…

道の教え(26)

重徳(じゅうとく)第二十六と言う副題がついています。 重いものは下にあってより軽いものを支える基礎とする。 静寂さが喧騒を制御する(沈思黙考できる人が、動揺する人を導く)。 以上の事から、物事を理解している人は戦いに挑みに行く際には、食糧(エ…

道の教え(25)

象元(しょうげん)第二十五 と言う副題がついています。 鳳凰堂流では、感性の源と言う風に考えています。 天地が出来る前に混然としたものがあった。 それはそれぞれ独立して、ただグルグルと回り循環していた。 これが天から降りて地の母となったのである…

道の教え(24)

苦恩(くおん)第二十四と言う副題がついています。 道とは何か、徳とは何かを知っていれば恩に苦しむ事や嫌がることはありません。 懸情流水、受恩刻石(懸けた情は水に流し、受けた恩は石に刻む)のが自然であり、循環し、小賢しいことを画策する必要がな…

道の教え(23)

虚無(きょむ、こむ)第二十三と言う副題がついています。 呼吸は吐くばかりでなく、必ず吸う、間(ま)があります。 風も終始吹くわけではなく、朝は止むことが多く、にわか雨も一時的なもの。 これは、天候、自然と言う天の計らいであって、昔の言い方をす…

道の教え(22)

益謙(えきけん)第二十二と言う副題がついています。 謙虚さの益とでも解釈しましょうか。 先日身を以てやり過ぎを体感しました。 選択肢が多いと迷い、一つだけ選択すると傲慢さや盲信に繋がります。 俯瞰して観る事と、今はこの道を突き詰めると言う視点…

道の教え(21)

虚心(きょしん)第二十一という副題がついています。 徳の流れを繋げると道になります。 道の本質は徳、徳は人によって違う景色が見える為、漠然としていますが、見ようとする人が徳を追っていくと感覚として身についてきます。 これが生命の根源であり、東…

道の教え(20)

異俗(いぞく)第二十と言う副題がついています。 無駄に知識があるから、傲慢になったり比較したりする。 礼儀としての挨拶も、挨拶ができたら良しとしないから争いが起こる。 大衆が向いている方向に多少は合わせる必要があるが、それをすることによって争…

道の教え(19)

還淳(かんじゅん)第十九 と言う副題がついています。 余りに縛りすぎる節度は断ち、小賢しい知恵を捨てて、自然さを基準にすれば誰しも心身解放される。 他人への思いやりが重荷にならないように、守るべきと言われている事を見直せば、本当の意味で他の人…

道の教え(18)

俗薄(ぞくはく)第十八 と言う副題がついています。 大道廃れて仁義ありと言う言葉は、比較的知られた言葉です。 仁義(他の人を愛する心とそれを守る心と行動)と言う言葉がクローズアップされる時は、自然本来の法則性が失われた証拠である。 慈愛の心や…

道の教え(17)

淳風(じゅんふう)第十七と言う副題がついています。 1番良い心の状態は、四臓、四肢が心に従って動いているだけである。 次に良い心の状態は、四臓、四肢が心の状態によって動きで表現し、共に分かち合っている事である。 最低の心の状態は、四臓、四肢が…

道の教え(16)

歸根(きこん)第十六と言う副題がついています。 心が恬澹虚無(てんたんきょむ)となれば、ただ静かに見守るだけとなります。あらゆるものは変化、成長し続けますが、それを見守るだけ。 またあらゆる生命は成長過程で様々な姿に変わりますが、最後にはそ…

道の教え(15)

顯徳(けんとく)第十五と言う副題がついています。 徳を顕わにすると言う事は、道を体現していると言う事。 生き方そのものが、道と言う人のイメージです。 昔存在した士と呼ばれる人(聖人)は、玄妙に通じ、その深奥は理解しつくす事が難しい。その為、そ…