衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(43)道徳経下篇・徳経(6)

 

徧用(へんよう)第四十三と言う副題がついています。

 

脱力、脱心し、天地(重力)に従う柔軟性こそが、目に見える強さをもコントロールできる唯一方法。

 

無になれば、どこにでも自由に入れるから。

 

ここからも無為の有益な点が伺える。

 

これは、何事にも通用する法則性だけに、自身が実践し体感しなければ言葉では理解はできても体得できない。

 

そして、これこそが伝えたい法則性の一つである。

 

【直訳】

天下の至柔(しじゅう)は、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)す。無有は無間に入る。われここをもって無為の益あるを知る。不言の教、無為の益、天下これに及ぶもの希なり。

 

【原文】
天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無間、吾是以知無爲之有益。不言之教、無爲之益、天下希及之。

徳の教え(42)道徳経下篇・徳経(5)

道化(どうか)第四十二と言う副題がついています。

 

道の変化と言うこと。

 

見えない本質的なものの流れを時系列で重ねると道になり、道は円になって循環し、その円が幾重にも連なって繋がると螺旋になります。

 

循環は円であり、一つの太極です。

 

道は太極と言う1を生み、

 

太極と言う1は陰陽両側面ある為、2側面の認識方法があり、

 

それを一つの枠組みの中で観る事が、

 

自分の観たい世界を一旦極小化して認識しやすくなる簡易(かんえき)となります。

 

簡易は陰陽で構成されていますが、その陰陽の動きのバランスを気として観る。

 

普通の人は孤独や不幸を避けようとますが、

人の思考の熟成レベルが上がるとそれを誇示する事でバランスを取るようになります。

 

それは、損も益に変わり、益も損に変わることを知っているからで、有名な人がこっそりとトイレを掃除しているようなものです。

 

変化の法則は、このように陰陽が相互に転化します。

 

そして、盛者必衰の理がこの教えの旨でもあります。

 

【直訳】

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気(ちゅうき)もって和をなす。人の悪むところは、ただ孤(こ)・寡(か)・不轂(ふこく)、而るに王公はもって称となす。故に物あるいはこれを損して益し、あるいはこれを益して損す。人の教うるところは、われもまたこれを教う。強梁(きょうりょう)なる者はその死を得ずと。われまさにもって教の父となさんとす。

 

【原文】
道生一、一生二、二生三、三生萬物。萬物負陰而抱陽。沖氣以爲和。人之所惡、唯孤寡不轂、而王公以爲稱。故物或損之而益、或益之而損。人之所教、我亦教之。強梁者不得其死。吾將以爲教父。

 

徳の教え(41)道徳経下篇・徳経(4)

同異(どうい)第四十一と言う副題がついています。

 

道と言う本質的な法則性は、名前の付けようがない為、道と呼んでいますが、人によって様々な方法があり、本質が同じであれば方法は違っても良いもの。

 

道の本質を理解している人は、真摯にまた着々と調和していこうと勤める。

 

普通の人は一応聞こうとはするが、理解、実践はできない。

 

下卑た人はこの道の本質が余りにも現在の生活とかけ離れている為、絵空事だと一笑に付す。

 

このような、大人になっても、人が勝手に作った人間社会と言う枠組みに囚われた、下卑た人に笑われてやっと道と言える。

 

古人は次のように言っている。

 

道の本質を理解し、体得している人は一見あほのようで、所作もゆっくりとしている。

 

本質的な道を歩んでいると、普通の人以下には見えない為、後ろに下がっているように見える。

 

着実に真っ直ぐ進んでいる様も、険しい道のりのように見える。

 

優れた人徳を持つ人は、一般社会ではへりくだった能なしに見え、真っ白なものは汚れて見え、広い器は欠けているように見え、本当に価値あるものが汚れているように見えている。

 

これは、四角いものも大きすぎると角が見えず、器が大きければ満ちるのに時間がかかり、良い音色は微かに聞こえ、大きなイメージには形がないようなものである。

 

道には名前のつけようがなく、それぞれの人によって異なる。

 

ただ本質的な道だけが人に真の力を与え、助けて、ありのままに大成していけるのである。

 

【直訳】

上士は道を聞きては、勤めてこれを行なう。中士は道を聞きては、存するがごとく亡(うしな)うがごとし。下士は道を聞きては、大いにこれを笑う。笑わざればもって道となすに足らず。故に建言(けんげん)にこれあり。明道は昧(くら)きがごとし。進道は退くがごとし。夷道(いどう)は纇(けわ)しきがごとし。上徳は谷のごとし。大白は辱のごとし。広徳は足らざるがごとし。建徳は偸(かりそめ)なるがごとし。質真は渝(かわ)るがごとし。大方は隅なし。大器は晩成す。大音は希声なり。大象(だいしょう)は無形なり。道は隠れて名なし。それただ道は、善く貸しかつ成す。

 

【原文】
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。不笑不足以爲道。故建言有之。明道若昧、進道若退、夷道若纇。上徳若谷、大白若辱、廣徳若不足。建徳若偸、質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。道隱無名。夫唯道、善貸且成。

徳の教え(40)道徳経下篇・徳経(3)

去用(きょよう)第四十と言う副題がついています。

 

循環と言う法則性は全てに通じています。

循環する動きは、元に戻ろうと言う動きと感応し合いながら巡っています。

 

震動、波動の原理です。

 

そして、震動、波動が起こるのは、常に変化していると言う事で、一見柔弱に見えます。

 

あらゆるものは、この柔弱と思える人の無意識から生じ、意識して目的、目標となり、実現に向かいます。

 

つまり、プラスの事を考え続ければ、プラスとなって現実に現れます。

 

【直訳】

反は道の動なり。弱は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず。

 

【原文】
反者道之動。弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無。

徳の教え(39)道徳経下篇・徳経(2)

法本(ほうほん)第三十九と言う副題がついています。

 

本質に則ると言う事でしょうか。

 

昔はそれぞれ統一されるものがあった。

 

天は清らかさで一面を覆い、

 

地は土台としての安定と言う概念が基本となり、

 

神は霊妙さの象徴であり、

 

谷は凹んでいるからこそ、満たす事が主眼となり、

 

あらゆるものは一つの気から生まれ、

 

貴族や人の上に立つ事は人が協同して何かをするから存在する。

 

天が清らかでなくなれば、天候は荒れ、地面は割れる。

 

地面が安定していなければ、人は安心して住めなくなる。

 

神の霊妙さを感じようとしなければ、現実の事物、目先の現象だけに囚われてしまう。

 

谷に水が流れていなければ、その周辺から支流まで枯渇してしまう。

 

あらゆるものが生まれ育つ事ができなければ、全てのものは死滅する。

 

身分や地位の高い人は、低い人がいるから存在できているのであり、この根本をないがしろにすれば、全てを失う。

 

従って、人は今ある地位や環境に足るを知り、そこで精一杯生きることが全てに通じ、循環する一の考えになる。

 

【直訳】

昔(はじめ)の一を得たるもの。天は一を得てもって清く、地は一を得てもって寧(やす)く、神は一を得てもって霊に、谷は一を得てもって盈(み)ち、万物は一を得てもって生じ、侯王(こうおう)は一を得てもって天下の貞(てい)たり。そのこれを致すは、一なればなり。天もって清きことなければはた恐らくは裂けん。地もって寧きことなければはた恐らくは発(ひら)かん。神もって霊なることなければはた恐らくは歇(や)まん。谷もって盈つることなければはた恐らくは竭(つ)きん。万物もって生ずることなければはた恐らくは滅びん。侯王もって貴高(きこう)なることなければはた恐らくは蹶(たお)れん。故に貴は賤をもって本となし、高はかならず下をもって基となす。ここをもって侯王は自ら孤・寡・不穀(ふこく)と謂う。これ賤をもって本となすにあらずや。あらざるか。故に誉を数うるを致せば誉(ほまれ)なし。琭琭(ろくろく)として玉のごとく、落落(らくらく)として石のごときを欲せず。

 

【原文】
昔之得一者。天得一以清、地得一以寧、神得一以靈、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。其致之、一也。天無以清將恐裂。地無以寧將恐廢。神無以靈將恐歇。谷無以盈將恐竭。萬物無以生將恐滅。侯王無以貴髙將恐蹷。故貴以賤爲本、髙必以下爲基。是以侯王自謂孤寡不轂。此非以賤爲本耶。非乎。故致數譽無譽。不欲琭琭如玉、落落如石。

徳の教え(38)道徳経下篇・徳経(1)

論徳(徳について論ず)第三十八 と言う副題がついており、道の教えから、徳の教えへと変わっています。

 

本当の徳とは、徳と言う事自体意識しない事。

 

徳を意識して何かをするのは徳ではなく、強欲。

 

本当の仁とは、目の前の人や出来事に素直に心を動かされ、慈しみ深く自然と助けてしまうもの。

 

仁義礼智信と言う五常(五行、五徳とも言われる)の中でも義や礼は、徳を意識したもの。

 

守るべき義を守っていると意識しており、

 

礼を尽くしても返ってこないと、相応の礼を要求したくなる。

 

こう言う事から考えると、

 

道が失われる事で徳が叫ばれ、

 

徳が失われると仁が意識され、

 

仁が失われると義が意識され、

 

義が失われると礼が意識される。

 

礼は信(頼)が薄くなった結果生まれるもので、乱れ始めを表し、

 

智は道を彩る道端の華に過ぎない。

 

つまり、仁義礼智信と言う五常は、徳が失われ、薄くなった事で意識されるもので、

 

このような概念は無意識にできて当たり前、

 

その先、その源を無意識にできる事が大切である。

 

 

【直訳】

上徳は徳とせず、ここをもって徳あり。下徳(かとく)は徳を失わず、ここをもって徳なし。上徳は無為にしてもってためにするなく、下徳はこれをなしてもってためにするあり。上仁(じょうじん)はこれをなしてもってためにするなし。上義(じょうぎ)はこれをなしてもってためにするあり。上礼(じょうれい)はこれをなしてこれに応ずることなければ、すなわち臂ひじを攘かかげてこれを扔ひく。故に道を失いてのち徳、徳を失いてのち仁、仁を失いてのち義、義を失いてのち礼。それ礼は、忠信の薄(はく)にして、乱の首(はじめ)なり。前識は、道の華かにして、愚の始なり。ここをもって大丈夫は、その厚に処(お)りてその薄に居らず、その実に処りてその華に居らず。故にかれを去さりてこれを取とる。

 

【原文】

上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。上徳無爲而無以爲。下徳爲之而有以爲。上仁爲之而無以爲。上義爲之而有以爲。上禮爲之而莫之應、則攘臂而扔之。故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後禮。夫禮者、忠信之薄、而亂之首。前識者、道之華、而愚之始。是以大丈夫處其厚不居其薄、處其實不居其華。故去彼取此。

道の教え(37)

爲政(いせい)第三十七と言う副題がついています。

 

道徳経の前半となる道の経、道の教えの最後の章となります。

 

道はいつも無為だが、無為は何もしない事ではありません。

 

自然にありのままの循環をしていれば、うまく巡る事を指しています。

 

上にいる人、前を歩む人は、何かを始めた人、下にいる人を無闇に強制したり、導きすぎないようにする。

 

少しずつ、自分のやり方で理解し、

 

自然の循環に刃向かえば、怪我や病気となり、

 

自然の循環に従えば、幸せや喜びが来る事を経験すれば、何事もうまく行くようになる。

 

その為には自分の行き過ぎた欲は切り捨て、

 

自信が持てないなら誰かに一時的に頼ってでも、自信をつける方が良い。

 

【直訳】

道は常に無為にしてなさざるなし。侯王もしよくこれを守れば、万物まさにおのずから化せんとす。化して而も作なさんと欲すれば、われまさにこれを鎮むるに無名の樸(ぼく)をもってせん。無名の樸は、またまさに欲せざらん。欲せずしてもって静かなれば、天下まさにおのずから定らんとす。

 

【原文】
道常無爲而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎭之以無名之樸。無名之樸、亦將不欲。不欲以靜、天下將自定。