衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(77)道徳経下篇・徳経(40)

天道(てんどう)第七十七と言う副題がついています。

 

治療の中でも、余っているものを減らし、足りないものを補うのは鍼の真骨頂。

 

天の道に叶い、東洋医学では最高の施術に位している技とされる由縁です。(鳳凰堂勝手に解釈)

 

今の人は痛いとこ鍼やたくさん打つ人がほとんどになりましたが、、、

 

世の常ですね。

 

以下鳳凰堂流解釈

 

天の道は弓を引くのに似ている。狙いが高すぎれば低くし、低すぎれば高くする。

 

力が入りすぎれば緩め、弱すぎれば力を入れる。

 

余っているものは分配し、足りないところへ埋めていくのが、世界を1つとして捉えている事であり、

 

人の身体の中の気も、余っているところから充分に巡っていないところへ持っていけば良いだけである。

 

これができるのは、道を体得した人だけであり、熟考できる人に限られる。

 

そのような理由から、熟慮、深慮できる人は何かを成し遂げても自分のものとせず、何かを得ても一人で持つことはなく、

 

優れた事であっても当たり前のように、気づかれないようにそっと行動する。

 

【直訳】

天の道はそれなお弓を張るがごときか。高きものはこれを抑え、下(ひく)きものはこれを挙あぐ。余りあるものはこれを損(へ)らし、足らざるものはこれを補う。天の道は余りあるを損らして足らざるを補う。人の道はすなわち然らず、足らざるを損してもって余りあるに奉ず。たれかよく余りあるをもって天下に奉ぜん。ただ有道の者のみ。ここをもって聖人は、なして恃(たの)まず、功成りて処(お)らず、それ賢を見(し)めすことを欲っせず。

 

【原文】
天之道其猶張弓乎。髙者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。