衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(78)道徳経下篇・徳経(41)

任信(にんしん)第七十八 と言う副題がついています。

 

柔よく剛を制すという言葉には、剛よく柔を断つという対句があります。

 

世の中は剛が強いと認識しがちですが、実際には柔があってこその剛。

 

どちらも必要です。

 

上善水の如し。

 

以下鳳凰堂流解釈

世の中で一番柔らかく、弱いのは水。

 

水は弱く、柔らかいと考えられているが、剛健なのも水。

 

頭では理解できていても、普通の人は中々水のようには行動できない。

 

その為、熟慮、深慮できる人は、

 

国の災いを受ける人こそが、本当の意味で国を守っており、

 

世の中の罪業を引き受けている人こそが、本当の意味で世の中を守っていると考えている。

 

人の身体でも、症状(陽剛)に意識を囚われすぎず、原因(陰柔、変化しつづける心の偏在)をまっすぐ見つめる人こそ、心身一つとして自身の人生を全うしている(鳳凰堂流解釈)

 

つまり、世間の常識とは反対の事が真実であったり、真実の言葉は曲げられる事が多い為、熟慮、深慮が必要なのであり、水のように生きる事が上善なのである。

 

【直訳】

天下に水よりは柔弱(じゅうじゃく)なるはなし。而も堅強(けんきょう)を攻むることこれによく勝るものなし。そのもってこれを易(かう)るなければなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざるものなきも、よく行なうものなし。故に聖人云う、「国の垢(はじ)を受くる、これを社稷(しゃしょく)の主と謂い、国の不祥を受くる、これを天下の王となす」と。正言は反のごとし。

 

【原文】
天下莫柔弱於水。而攻堅強者莫之能勝。其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。故聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。正言若反。