衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

道の教え(14)

贊玄(さんげん)第十四と言う副題がついています。 観相学の根源を伝えた人で、五代十国から北宋までの時代を生きた道士に陳希夷(陳摶、陳図南とも呼ばれていました)がいます。 彼の名前の由来はここから来ています(鳳凰堂予想)。 そして、これはヘブラ…

道の教え(13)

猒恥(けんち)第十三と言う副題がついています。 人は愛される事や恥じることには非常に敏感です。それを上下として認識しているからに外なりません。承認欲求と言うやつです。 又、災害や病に対しても敏感です。そう言う時になってやっと身体が今まで頑張…

道の教え(12)

檢欲(けんよく)第十二と言う副題がついています。 文明の誘惑を退ける事の必要性を説いています。 色とりどりの美しい色彩は人の目をダメにする。 楽しい音楽は人の耳をダメにする。 豪勢な料理は人の味覚をダメにする。 馬で狩りをする事は人を熱狂させ、…

道の教え(11)

無用第十一と言う副題がついています。 車の車輪は三十本前後のスポークが車軸から出て輪を作る。 このスポークの間に空間があってこそ、車輪としての働きが出来る。 泥土をこねて器を作るが、器の中に空間があってこそ器としての働きをする。戸口や窓をうが…

道の教え(10)

能為という副題がついています。 心と身体を一体とし、この太極から離れないようにしたい。 氣だけを意識して柔軟に物事を考える事ができ、しかも無心となれる嬰児のような心を持ちたい。 雑念を払い、過ちなく進めるようになりたい。 人を愛し、国のような…

道の教え(9)

運夷という副題がついています。 手に持っている器に水を満たし、溢さないように心配するくらいなら初めから一杯入れなければ良い。 刃物を鋭く研げば、直ぐに刃こぼれして長持ちしない。金銀、宝石が部屋一杯にあれば、守る事で気持ちが一杯になり、結局し…

道の教え(8)

易性という副題がついています。 性質変化の柔軟さこそが、最上と言ったような意味です。 鳳凰堂流の意訳は、 最上の善とは水のようなものである。水はあらゆるものに有益で、調和し、誰しも嫌がるような低いところにいる。従って、その状況自体が道というも…

道の教え(7)

韜光(とうこう)という副題がついています。 韜とは隠すという意味があり、 韜光晦迹(とうこうかいせき、とうこうまいせき)と言う言葉があります。光を隠す。 仏教的には高い位に着いた人が、俗世を離れてひっそりと暮らす事を指しているそうですが、 転…

道の教え(6)

成象という副題がついています。 現代社会では、使いすぎでなくなるという危機を感じている人もいますが、それも生き物(変化するもの)の生長壮老死の過程の中にあると考えると、天地(自然)を使いすぎれば質的な変化や表面の変化が必ず訪れ、人間自身は生…

道の教え(5)

虚用という副題がついています。 天地自然の法則性に慈愛の心はない。その様は万物を祭壇に供える飾りの犬と同等に観ているようなものであり、祭礼が終われば棄てられるのも黙ってみているだけである。 聖人にも慈愛の心はない。ただただ民の生長壮老死を俯…

道の教え(4)

無源と言う副題がついています。 道は突然出会う事であり観ることはできないが、用いる方法はいくらでもある。源は深淵のように深く全てを包みこんでいる宗のようなものだからである。 鋭い乾に丸味を与え、紛糾した物事を解釈し、その先にある光明と調和す…

道の教え(3)

安民第三と言う副題がついています。 賢いとか愚かと言う価値観。 物を欲する欲望。 それを実現する為の金。 これらを過剰に欲する事のないようにすれば、無駄な争い、心の不和は起こらない。 至極全うな事だと思います。 約4000年以上前の事は現在にも通じ…

道の教え(2)

身体を養うという副題がついています。(養身第二) 美しいと感じ、理解していても、美しいと言い、感じるだけでは本質が分かっていない。美しいと感じる裏には、必ず醜さとの比較があるる事に着目する必要がある。 良いと判断し、良いと言う事を分かってい…

道の教え(1)

道を體現するという副題がついています。(體道第一) 道は太極が繋がったもの。 太極とは、その人、その団体、その社会等の1つの枠組み(空間)と考えると、 空間が時間によって変化するものが道と言えます。 東洋医学で喩えると、 気を太極とし、 それを…