衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(71)道徳経下篇・徳経(34)

知病(ちへい)第七十一と言う副題がついています。

 

禅問答のようですが、我が意を得た篇です。

 

簡単に表現したいけど、しようとすると微妙に正確ではない気がしてまた熟慮します。

 

鳳凰堂流解釈

言葉で分かりやすく表現できる人は、まだまだ理解しているとは言えない。

 

表現した相手は思考や経験を奪われ、共に育つ機会を自ら台無しにしているからだ。

 

理解しきれていない事を分かるだけで上級レベル。

 

理解していないのに理解しているように振る舞ったり、勘違いしている人は心が病んでいる。

 

心が病んでいると自覚できる人は健全で、病であっても病気ではない。

 

病があっても病気にならなければ、人は人生を全うできる。

 

熟慮できる人は決して病まない。自身を客観視できていれば、障害や破損があっても自然のままに、死ぬものは死に生きるのは生きるだけで、気を病んでいるわけではないからである。

 

【直訳】

不知を知れば上、知を知らざれば病(へい)。それただ病を病とす、ここをもって病ならず。聖人は病ならず、その病を病とするをもってなり。ここをもって病ならず。

 

【原文】

知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病。是以不病。