衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(49)道徳経下篇・徳経(12)

任徳(にんとく)第四十九という副題がついています。

 

思考が熟成し、行動と一致している人は固執した考えに囚われる事がありません。

 

他の人の意思も自分の意志として受け止めます。

 

他の人が良いと言うものは良いと思いますが、悪いと言うものも良いと言います。

 

気持ち、考え方、見方を柔軟にすれば良い事が得られるからです。

 

他人が信じる人を信じますが、信じない人も信じます。対処によって、信を得るように変化していけるのは誰でも同じだからです。

 

思考が熟成し、それを実行できる人は、人の注目を浴びるが、人が期待するような事はしないし、考えも分かりにくい。

 

小さな子が大人の考えを理解できないようなものだからです。

 

 

【直訳】

聖人は常心なし。百姓(ひゃくせい)の心をもって心となす。善なるものはわれこれを善とし、不善なるものもわれまたこれを善として、善を徳う。信なるものはわれこれを信とし、不信なるものもわれまたこれを信として、信を徳う。聖人の天下に在あるや、歙歙(きゅうきゅう)として天下のためにその心を渾(にご)す。百姓はみなその耳目を注ぐ。聖人はみなこれを孩(がい)にす。

 

【原文】
聖人無常心。以百姓心爲心。善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善。信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信。聖人在天下、歙歙爲天下渾其心。百姓皆注其耳目。聖人皆孩之。