衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(70)道徳経下篇・徳経(33)

知難(ちなん)第七十 と言う副題がついています。

 

理解する事が難しいもの、と考えて訳しています。

 

徳にしても、道にしても、言葉にすると一言ですみますが、本質を理解するのは難しいものです。

 

人はキャッチャーな言葉に惹かれたり、

目の前の物に囚われる修正があります。

 

ネコが猫じゃらしに抗えないように。

 

但し、この道、徳を考え続け、実行し続け、無為に辿り着いた途端。一旦は無気力になります。

 

そして、あらゆるものと自分の意識が1つになります。

 

以下鳳凰堂流解釈

私は凄く分かりやすく、実行しやすい事を言っているが、世の中は理解しようとも、実行しようともしない。

 

言葉には意図、意識があり、何かを行う為には僅かな欲、顕在意識が必要である。

 

たったこれだけの事でさえ、人は理解しようともしないが、少しでも理解しようとする人はそれだけ貴重であり、大切であり、尊い

 

聖人はボロを着ていても心に錦を持つもの。

 

人は見える錦にばかり意識を取られ、心にある錦には中々気づかない。

 

【直訳】

わが言は甚はなはだ知り易やすく、甚だ行ない易し。天下よく知ることなく、よく行なうことなし。言に宗そうあり、事に君あり。それただ知ることなし、ここをもってわれを知らず。われを知る者は希まれなれば、われに則のっとる者は貴し。ここをもって聖人は、褐かつを被きて玉ぎょくを懐いだく。

 

【原文】
吾言甚易知、甚易行。天下莫能知、莫能行。言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。知我者希、則我者貴。是以聖人、被褐而懷玉。