衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(62)道徳経下篇・徳経(25)

爲道(いどう)第六十二と言う副題がついています。

 

道を為す事について。

 

道は全ての奥妙であり、どんな人でも欲しがるもの。

 

よこしまな心でこれを得ると、巧言令色を呈して尊敬を獲得し、心とは裏腹ににこやかな顔をする事で人から賞賛される。

 

今の時代も権威と言う傘の下で、優しく見える人は多くがこの部類。

 

しかし、だからといって拒絶や批判するものではない。

 

最終的に人の心に遺るのは、貴重なものでも、権威でもなく、道だからだ。

 

道を貴いとする理由は、どんな人にも公平に開かれているからである。

 

【直訳】

道は万物の奥なり。善人の宝にして、不善人の保つところなり。美言はもって市うるべく、尊行はもって人に加うべし。人の不善なる、何の棄つるものかこれあらん。故に天子を立て、三公を置き、璧(へき)を拱(と)りてもって駟馬(しば)を先にするありといえども、坐してこの道を進むにしかず。いにしえのこの道を貴ぶゆえんは何ぞ。もって求むれば得、罪ありてもって免がるといわずや。故に天下の貴たり。

 

【原文】
道者萬物之奧。善人之寳、不善人之所保。美言可以市、尊行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。古之所以貴此道者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。