衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(63)道徳経下篇・徳経(26)

恩始(おんし)第六十三と言う副題がついています。

 

恩の始まりと言う意味でしょうか。

 

真面目すぎる人は、先ずはこの文を熟慮されますよう。

 

小さな事を大問題として捉えたとしても、そこに焦りややらなければと言う気持ちがあると疲れます。その為に冒頭に、何もしないことをやりきると書かれています。

 

これが小さいこと。

 

また、爪や手について投稿していますが、

 

身体にとっては小さいこと、小さい兆しです。

 

このような事をコツコツと集めて、その人を分析、施術するのが東洋医学でもあります。

 

肩こりは合谷が効くと言うような、魅力的な言葉は物事の本質からは眼を背けています。

 

一日でも何もしないことをやりきる。

 

何もしなかったではなく、無事に乗り切ったと考え、生きている事自体、自分を褒めてあげる。

 

原因が分からず文句を言われたら、気にせずまた相手の事を思い、その恩に報いる。

 

世の中は必ず些細な事から始まっている。

 

その小さな事を蔑ろにせず、慈しみ、労り、対処すれば大きな事にならず、大きな事も成し遂げられる。

 

これを軽んじると、必ず何でも簡単に請け負ってしまい、結果的には信頼や信用は少なくなる。

 

その為、思慮深い人は目先の結果には拘らず、小さな事からコツコツと積み上げている。

 

これが結局は大きな事を成し遂げることに繋がる。

 

小さな事を軽視すれば、やがてたくさんの大きな問題に出会う。

 

このような考えから、全ての事は大きな問題と考えると、本当の大きな問題にはならない。

 

【直訳】

無為をなし、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳をもってす。難(かた)きをその易(やす)きに図かり、大をその細になす。天下の難事は必ず易きより作(おこ)り、天下の大事は必ず細より作(おこ)る。ここをもって聖人はついに大をなさず。故によくその大を成す。それ軽諾(けいだく)は必ず信寡(すく)なく、易きこと多ければ必ず難きこと多し。ここをもって聖人すらなおこれを難(かた)しとす。故についに難きことなし。

 

 

【原文】

爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不爲大。故能成其大。夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之。故終無難。