衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(57)道徳経下篇・徳経(20)

淳風(じゅんふう)第五十七と言う副題がついています。

 

国で喩えていますが、人の心と身体も同じです。

 

欲少なく、日々全てに感謝し、一旦有事(人では病や怪我)が起これば迅速にあらゆる手段を講じ、元の 平和(健康)な状態に戻す。

 

これをどうやって正しいと認識できるのか。

 

世の中に決まりごとやエチケットが多くなる程、人は息苦しくなる。

 

その会社の方針や喫煙スペース、女性専用車両等もそうであり、

 

これを武器として人はとがめ始める。

 

技術が進む程、人は自身の身体を使わなくなる。

 

その為、本来智恵を持って上に立つ人(心)が、

 

無為であれば従う人達(身体)は従順になる。

 

(心が)欲を張って楽しむ事をせずに静かに過ごせば、

従う人達(身体)は自然の流れに従って正しく生きる。

 

(心が)欲を張らず何もしなければ、その分の富(栄養、休息)は従う人達(身体)に周り、余裕ができる。

 

(心が)無欲になれば、従う人達(身体)は純朴になる。

 

【直訳】

正をもって国を治め、奇をもって兵を用い、無事をもって天下を取る。われ何をもってその然るを知るや。これをもってなり。天下に忌諱(きき)多くして、民いよいよ貧し。民に利器多くして、国家ますます昏し。人に伎巧(ぎこう)多くして、奇物ますます起こる。法令ますます彰かにして、盗賊あること多し。故に聖人云う、「われ無為にして民おのずから化す。われ静を好みて民おのずから正し。われ無事にして民おのずから富む。われ無欲にして民おのずから樸(ぼく)なり」。

 

【原文】
正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昬。人多伎巧、奇物滋起。法令滋彰、盗賊多有。故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。