衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(56)道徳経下篇・徳経(19)

 

玄徳(げんとく)第五十六 と言う副題がついています。

 

禅問答のように、意味が理解しにくいかもしれませんが、ただあるがままに生きている事が尊いと語ってくれています。

 

道とは何かを知っていて、実行している人は易々と言葉では表現できないが、知識として知り、人が納得しやすい表現をしている人は本質を理解していないもの。

 

言葉に出したいところをぐっと堪え、鋭い表現や行動は控えて、分かりやすく行動し、楽しさを共有し、忘れ、そしてまたただの人として生きる。

 

この生き方が、玄妙な道に近いもの。

 

これを体得すれば、遠ざけていないのに容易に悪い人を近づけず、利益を得るわけではないが損する事もなく、尊いわけでもなければ賤しいわけでもない。

 

こういう人こそ真に尊い

 

【直訳】

知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ、その鋭を挫き、その紛を解き、その光を和し、その塵に同じくす。これを玄同と謂う。故に得て親しむべからず、また得て疏(うとん)ずべからず。得て利すべからず、また得て害すべからず。得て貴ぶべからず、また得て賤(いや)しむべからず。故に天下の貴となる。

 

 

【原文】
知者不言、言者不知。塞其兌、閉其門、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。是謂玄同。故不可得而親、亦不可得而疏。不可得而利、亦不可得而害。不可得而貴、亦不可得而賤。故爲天下貴。