衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(58)道徳経下篇・徳経(21)

順化(じゅんか)第五十八と言う副題がついています。

 

ここでも政治について書かれている事を心身に変換して解釈します。

 

心身のケアは毎日必要ですが、毎日これをしないといけないと考えると心は苦しくなります。

 

今気づいた気になる事くらいで充分。

 

心はやれる事をやりたいだけやろうとしますが、それは達成感や充足感の裏に大きな疲労や怪我の可能性を孕んでいます。

 

1日の活動量、時間は人によって違うので、決めるのは規則や他人ではなく自分自身です。

 

どれだけ健康を維持しても、突然の災害、事故には抗えません。

 

良い時と困難があるときはいつも隣り合わせで浮沈します。

 

その為、知慮を熟成している人は決して無理をせず、困難に面している時も思考はプラスにして笑顔でいます。

 

ただ、素直に生きているかけで、無理をしない。

 

明るくいても、輝きすぎない。

 

感謝と熟慮、無理をしない事が大切です。

 

【直訳】

その政悶悶(もんもん)たれば、その民醇醇(じゅんじゅん)たり。その政察察たれば、その民欠欠たり。禍いは福の倚(よ)る所、福は禍の伏す所。たれかその極を知らん。それ正なし。正また奇となり、善また訞(よう)となる。人の迷える、その日まことに久し。ここをもって聖人は方にして割かず、廉(れん)にして劌(き)らず、直にして肆(のび)ず、光りて耀(かが)やかず。

 

【原文】
其政悶悶、其民醇醇。其政察察、其民缺缺。禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。其無正。正復爲奇、善復爲訞。人之迷、其日固久。是以聖人方而不割、廉而不劌、直而不肆、光而不曜。