衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(50)道徳経下篇・徳経(13)

貴生(きしょう)第五十と言う副題がついています。

 

人は生まれた限り必ず死にます。全ては相対ですが、死は絶対。

 

この単純明快な論理を視ないようにしがちなのが人間です。

 

正常性バイアスとでも言いましょうか

 

30%は長生きし、30%は早死にする。

 

周から春秋時代にかけての世の中でも、頑張りすぎて死ぬ人が30%はいたそうです。

 

当時も今も変わらないのですね。

 

なぜ、頑張りすぎて死ぬのでしょうか

 

深掘りして考えていくと、生への執着が強すぎるからです。

 

昔の人は次のように言っています

 

良く生を全うする人は、野山で虎やサイに襲われる事がなく、戦場で殺される事もないと。

 

なぜなら、そう言う人は初めから生への執着がないからです。

 

言い換えると、今生きていること、今まで生きてこられた事に感謝でき、死はいつ起こるか分からないからその日を全力で生きると覚悟している人は身体を痛める事があっても魂が応えてくれるのです。

 

【直訳】

出ずれば生、入れば死。生の徒十に三あり、死の徒十に三あり。人の生くるや、動きて死地に之(ゆ)くものまた十に三あり。それ何の故ぞ。その生を生とするの厚きをもってなり。蓋し聞く、「善く生を摂する者は、陸行して兕虎(じこ)に遇わず、軍に入りて甲兵を被むらず」と。兕もその角を投ずる所なく、虎もその爪を措(お)く所なく、兵もその刃を容(い)るる所なし。それ何の故ぞ。その死地なきをもってなり。

 

【原文】
出生、入死。生之徒十有三、死之徒十有三。人之生、動之死地亦十有三。夫何故。以其生生之厚。蓋聞、善攝生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。