衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

道の教え(6)

成象という副題がついています。

 

   現代社会では、使いすぎでなくなるという危機を感じている人もいますが、それも生き物(変化するもの)の生長壮老死の過程の中にあると考えると、天地(自然)を使いすぎれば質的な変化や表面の変化が必ず訪れ、人間自身は生きる事ができなくなっても自業自得の流れであり、宇宙、自然は形を変えて続いていきます。

 

   その変化自身は無情にも存在し続ける為、このように、物質的なものの中に潜む本質的なものを玄牝と呼んでいます。ある程度物質化、名詞化しなければ人間は感得できていても、明確に認識できないから、言葉にする事で敢えて形にしている、イメージをしやすくしている章と言えます。ここで、體道に戻って、「名可名、非常名」を思い出すことが大切です。

 

谷神は東洋医学では水穀の気、天地の根は元気とも考えられます。どちらも絶えなければ変化しつづけ形を維持しますが、絶える時には形は質的な変化を起こして又次の状態で変化し続けます。

 

副題の成象は、象になるのではなく、イメージ化すると言う事。形からイメージへ、イメージから形へと質的変化も絶え間なく起こり、それはイメージ無しには認識できません。

 

  谷神は死ぬことはなく、玄牝(混沌とした陰)と呼ばれる。

 玄牝の端緒を天地の根と呼ぶ。天地の根は綿綿として存在し、どれだけ使ってもなくならないからである。

 

【原文】

谷神不死、是謂玄牝玄牝之門、是謂天地根。

綿綿若存、用之不勤。

 

【書き下し文】

谷神死せず、これ玄牝と謂う。玄牝の門、これ天地の根と謂う。綿々として存するが若く、これを用うて勤めず。