衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(8)ー1

六十四卦の中の風沢中孚 f:id:shuji0211:20170511205656j:plain [陽陽陰陰陽陽]二爻には、

 

親鶴が山陰で鳴けば、子鶴はこれに同調して鳴く。私は今良い盃を持っているので、

あなたと酌み交わそうと思う。

 

と書かれています。

 

孔子はこれを次のように解釈しています。

 

 君子が部屋の中で言葉を発すると、良い事は部屋の外にいる人まで同調するので、近くにいる人は尚更であるが、良くない事であれば部屋の外にいる人はそっぽを向き、近くの人は余計に同調はしてくれない。

 

 言葉は身体から出て、人々に影響を与える。行動は身の回りの事を行うが、遠くから見て客観的に判断出来る。

 

 ここから、君子というものは言行を最も大切にすべきだと考えており、最も大切なところから発するものの中には、自身の栄誉と恥辱が含まれる。

 

 つまり、言行は君子が天地を動かすものなので慎んで言葉を発し、行動するべきなのである。

 

 

 

私の解釈は、風沢中孚という卦は f:id:shuji0211:20170511205656j:plain このようになっています。

 

初爻が陽、九二が陽、九三が陰、六四が陰、九五が陽、上九が陽、[陽陽陰陰陽陽] 

 

つまり、大きく見れば風沢中孚ですが、凝縮すれば八卦の離火 [陽陰陽]となります。 

エネルギーが大きく吹き出している状態で、周りを照らし、尚かつ周囲と調和する姿。

慎み深く接しなければ離火なので火傷させてしまいます。

 

身体的に見ると、上半身・下半身は陽であり、熱していますがお腹は熱がなくなってきているので特に下腹部に注意した方が良い状態です。

 

また、兌沢が向かい合った卦でもありますので、上がしっかりと隠れた良さを引っ張っていければ泰卦として、陰陽調和できる可能性もあります。

 

腹部の血の不足を補うべきか、頭部の血の過剰集中を取り去るべきかが二爻では、

プラスの言葉を発する事で、調和へ同調させられるとの事なので、腹部の陰血を補うような方法が良いのでしょう。

 

長くなるので続きます。

言葉を繋ぐ(7)

孔子の解釈としては

 

易には全てが備わっている。聖人が徳を高め、その考え方を広める為にある。知恵は高い方が良く、礼は低い方が良い。これは知恵は天から得られるヒント等、運の要素を多分に含んでいるので天から学んでいると言えるし、礼は相手よりもできるだけ低い位置にいる方が行動で気持ちを表す事ができ、地から受け取っていると解釈しているものだ。

 

と言われます。

 

これも知恵を天、礼儀を地として上下という位置を設定しています。易による思考法は、太極を設定し、この中で陰陽と言う変化を観察し、判断し、意味付けし、行動します。人の本質は天に属し、複雑な人間関係は地となり、その中で生きていく為の門と考える事ができます。

 

聖人は世の中の深いところまで洞察できるので、様々な出来事をなぞらえて物に象どり、これを象(イメージ)にしました。

 

聖人は世の中の動きも広く理解しているので、その動きが収束する場所や変化を見てその法則を使い、言葉にして良悪を判断しています。

 

自然界や社会等、人間が生きる空間はこの上なく深い真理が存在するが嫌になっても何も解決しません。また、時間もこの上なく複雑で速く錯綜していますが乱れても何も変えられません。

 

重要なのはこれらの変化をイメージとして受け取り、それを踏まえて言葉にする事。言葉にしたものから、更に細かな動きを見て行動する事。

 

そうすれば、その行動はその時に現れている空間の時間的変化に対応できるのです。

 

言葉を繋ぐ(6)

易の考え方は扱える範囲は限りなく広く大きい。

 

上下と前後左右と言う空間・時間の範囲設定だけなので大きさを変えるだけで無限に言及することができ、天地自然の法則を応用するだけなので正確性もあります。

 

乾坤の乾は全ての始め、始まりをあらわすので動きがなければ静止したように見えますが、動けば一つの方向に真っ直ぐ動きます。

 

坤は動きがなければ閉じ、動きがあれば開くので乾によって動き始めたものが、形として生じる事全般を示しています。

 

例えば、誰かが言った一言で、その目標に向かって計画が始まると言うのも乾坤です。

 

実際にものや関係性ができる前の始まりと準備と言ったところです。

 

この乾坤と言う言葉は、縦横の空間の膨張・収縮の範囲を、天地を一つの縮図として表現しているものです。その乾坤の中の動きは四季で例えて時間と空間の法則性を示しています。

 

陰陽の意味は太陽と月が代表して表現してくれています。

 

簡易の良いところは、この法則性を分かりやすく示す事で、単に人が集まりやすくする為に簡単な説明と技を見せるものではありません。

言葉を繋ぐ(5)

一つの事柄をプラス面、マイナス面と言う二つの方向性に区切って考える際、その一つの事柄は太極と言う道になります。

 

この道が続くような方向が良くバランスが取れた状態で、それは人それぞれの性質が精一杯活かされたものです。

 

他人に対する思いやり(仁愛)深い人は、この道の事を仁の道と呼ぶでしょうし、知恵の働く人は知の道と呼ぶでしょう。人・もの・事にそれぞれの道があるのです。

 

この道の歩き方が分からない人を無知と呼びますが、決して知識のない人ではありません。知恵の使い方が分かっていない人の事を指しています。どんなに権威があり、知識があっても無知な人はたくさんいます。

 

人それぞれの道は初めからハッキリと分かっている事なのですが、当人が理解しようとせず、無意識下に隠しているだけなのです。

 

ただただ自分の仁愛の性質を明らかにし、様々な事柄にそれを使って対処していくだけで、あらゆる事柄がそれに応じるので、他の徳の高い人と同じである必要はないのです。

 

それぞれの性質を最大限に活かす事が徳となり、大きな業となるのです。

 

何かをたくさん持つ事ができるのは大業ですが、日々新しい様々な事・もの・人に出会えるのも徳の現れです。

 

様々なものが生まれ、変化する事を易と呼び、

イメージにする事を乾と呼び、法則性に則って効果を出す事を坤と呼びます。

 

つまり、見えないものを観る為の法則性を使って(理)、イメージを捉え(象)、効果を出し、これらを(数)で纏めることで占(判断)すれば、あらゆる変化に対応できます。

 

陰陽が測り知れない(プラス面、マイナス面の判別が難しい)ものの事を神と言いますが、この神の方向性を判断するものでもあるのです。

 

 

言葉を繋ぐ(4)

孔子が書いたとされる易伝は天地自然を基準としているので、自然現象と合致します。

 

上下に分けた時は上は天体の動きを参考にし、下は地形によってどこに水が流れやすく、どこに風が吹きやすいかを吟味しています。

 

こうやって考える事で、間に流れる見えない気の動きを理解する事ができるのです。

 

香港島の裏に風水を考えたホテルがありますが、山の斜面から風が強く吹く為、風を邪魔しないように、またホテルが倒壊しないように初めから風穴を開けています。いわゆる龍脈です。

 

天地自然の見えない法則の中で起こっている出来事は人の身体、或いは人間関係の中で起こっている事にも当てはまります。

 

あらゆる法則性が分かってくると、そこには自然に(太極)道ができており、それから出る事がないのが分かります。

 

もしその道を間違えば途中で行き詰まり、循環しないからです。

 

天運(偶然の出会い)を楽しむことができれば、命とは何かを理解する事ができ、心配や憂いがなくなります。

 

安定して考える為には相手に対して、自分の事のように考え、行動する事が大切なのです。つまり、しっかりと愛する事(仁愛の心)です。

 

自然の法則に則った変化の範囲であればやり過ぎる事がなく、どのように変化しても対応できるはずです。

 

これは昼と夜と言う、毎日変化している陰陽の増減を通して理解していくと分かりやすいと思います。

 

昼と夜は地球の自転によって、太陽が昇り沈む事で光と影ができ、1日の覚醒と睡眠に影響があります。

 

1ヶ月(29.53日)は、月の満ち欠けから人のエネルギーの増減(血流の速度)が分かります。

 

1年(365日、60.875日×6)は地球の公転による太陽の位置の違いによって、活動力に影響がある事で分かります。

 

これらの陰陽の変化が交錯してエネルギーの交換が行われており、測れるものは当然全て易の観察法、判断法で説明できますが、測れないものも易は表現でき、神というものは計り知れませんが、その端緒や知る為の方法は提示できるのです。

 

言葉を繋ぐ(3)

上下の位置関係は大切。

 

小さなパーツを集めて大きなイメージ、意味を持たせているのが卦。その意味するところから、良い方向や良い流れなのかを判断する。

 

事物は常に動いているので、その過程で後悔や失敗もあるだろうが、悪い方向と勝手に感じると後悔となる。

 

そういう場合は今度は卦の大きさを変えてみる。(時間・空間の範囲を広げたり、縮めたりしてみる)

 

意味付けにも方向性があり、それぞれ目的があるからである。

 

 

言葉を繋ぐ(2)

全てに本当に優れた人の観察法

 

観察対象をいくつかの区域に分ける

 

ふと沸き起こるイメージを大切にする

 

分けた区域に意味を持たせる

 

これで物事を明確に判断している。

 

どのように動いているか(現在・未来)を自分のものにできれば、変化が見えてくる。

 

つまり明確に判断できるかはイメージを明確に持つかどうかにかかっている。

 

できないと思ったり、ダメだと思うのは、イメージする時点で失敗や自分への信頼がないからである。

 

変化とは、時間の前後をイメージする事であり、

 

剛柔とは、昼夜のように必ず訪れる規則的な陰(夜)と陽(昼)をイメージすると良い。

 

一つのイメージには6方向の動き(上下前後左右)があり、この中で上なのか下なのか、前なのか後ろなのか、左なのか右なのかと言う3つを極限まで煮詰めると、その時点での(自分の)太極(道)ができる。

 

君子と呼ばれるような人は、このような手順を踏んでいるので、安定して思考ができ迷いがない。これが易の順序である。

 

これを楽しんで遊べる人は、6方向の意味とその時々の判断ができるからで、固定した場所からイメージし、観察し、実行に移しているからこそ自由に応用ができる。

 

動きがあれば、その変化を観察して、試行錯誤する事ができ、そうしていると思いがけない幸運(天の恵み)が起こり、良いことはあっても悪いことはない。