衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(1)

   東洋的な(古典的な)考え方の基礎になる文書を自分なりの解釈で著していきます。

 

元々、天とは高い場所にあるもので、地とは低い場所にあるものなので、空間の上下(高低)を乾坤と言う名前で一旦固定してみよう。

これによってあらゆるものを一時的に決定する事ができる。

 

物事は時間によって変化するが、その変化にも規則性があるので、動くものは剛、静かなものは柔として考えてみよう。

 

あらゆる物事は同じような種類のものが集めやすいので群として分けていくと、その物事がどの方向から動いてきたのか、今どこにいるのか、そしてどこへ向かおうとしているのかを理解できるようになる。

 

このような考え方をしていくには、過去・現在・未来をイメージする事(天)と理論や図として描き出すこと(地)が大切で、これによって見えないものが見えてくる。

 

こうして思考と実行を繰り返す事で、八卦と言う見えないたくさんの変化する図面が浮かび上がってくる。

 

一つの八卦と言う固定された図面を動かすには、雷のような衝撃で震わせたり、風雨のような動きで濡らしたりする必要がある。これは太陽と月と地球の動きによって、1年に寒暑の変化があるようなもので、先ずはその始めの見えない端緒を乾坤として陰陽に当てはめるのである事を念頭に置いて欲しい。

 

乾は陽、人で言うと男性。坤は陰、人で言うと女性の性質があると言えばイメージしやすいだろう。

 

もう少し詳しく書くと、乾は全ての始まりで、最初から全ての材料はそこにあることを示し、坤はそれが具現化して見える形になる事を示している。

 

乾は易の考え方を使えば理解しやすく、

坤は実際に形になっているので使いやすい。

 

易の法則性を用いれば理解しやすく、簡易としても易の法則性を守っていれば使いやすい。

 

使いやすければ親しみが沸き、親しみが沸けば長く使える。易の法則性に従えば効果がある。使いやすければ習慣となり、その効果も高くなる。

 

長く使えるようにするのは賢い人の知恵。

 

効果を高めるのは賢い人の技。

 

易の法則性に従いながら、簡単にする事ができればあらゆるものの道理を理解し、実行し、結果を出せる。

 

あらゆるものの共通する道理を理解できれば、その事物の中心軸を意識するだけで良い。

 

 

 

 

 

 

父と母

東洋医学では、陰と陽であり、乾と坤を代表として表現されます。

 

父は陽であり乾。

 

母は陰であり坤。

 

陽は上にあって、引っ張っていく役割があると同時に壁として子供に越えさせる役割があります。

 

陰は下にあって、土台を作る役割があると同時に安心とジャンプする勇気を与える役割があります。

 

小さい頃の子供の心情の変化は、主にここに影響されますが、この2つの役割が正常に機能しているかどうかが肝要です。

 

時代の趨勢として、親が二人揃っていない場合、一人が機能していない場合、二人とも機能していない場合等を考える必要もありますが、その場合は時間をかけて子供自身が全ての壁を越え、自分の場所を見つける必要があります。

父と母と限定すると、揃っていない場合や機能していない場合に複雑になってしまう為、表現を簡略化する為に陰陽を用いて代数とすると、状況が変化しても代数を変えれば対応できます。

陽は上にあるからこそ、下の事を盛り立てて、引っ張っていく事が大切で、上ばかり見て引っ張りすぎると、周囲は壁を越えられずに上下の関係性が破たんします。

 

陰は下にあるからこそ、上の事を尊重し、静かに土台作りに専念し、周囲の関係性を広く、豊かにしていきます。

 

どちらが大切とかどちらが重要なのではなく、2つの調和によって、初めて新しい変化、新しい発展が起こります。

 

逆に考えると、新しい変化の芽をこの不調和で摘み取っていないかをしっかりと考える事が大切です。

 

陰陽と表現したことには、他の事象でも同じ法則が適用できるからです。

人生と九と十二⑩

人として、いのちとしては終焉の時期です。(壬)

 

如何に身体を自然に終わらせられるか。

 

恐怖や不安に苛まれながら終わる事が本当の生命が輝いた証でしょうか?

 

生ききった!と言える死に方は、見えない生命の輝きを細かな粒子として生きたまましばらくの間浮遊させる事ができ、次にその種がどこへ宿るか、それとも数年、数十年と浮遊して縁ある人へ良い情報を伝えていくのか選ぶ事ができます。

 

あくまでも今の私の感覚を未来にまで引き伸ばし、想像してみたものですので、本当かどうかは確かめる術もありませんが、ここへ向けて進み、また1に帰られるように生き、そして死にたいと思っています。

人生と九と十二⑨

ここからは、あくまでも想像、予想となります。

そして、ここまで来る事ができる人も少なくなっている段階です。

 

ここでは、自分の光を周囲に分け与えながら、周囲に支えられている事を自覚する段階であり、ハードルです。(辛)

 

中には思考力が散漫になる人も出てきますが、この段階まで来る事ができれば生命を全うできたと呼べるのではないでしょうか?

 

 

人生と九と十二⑧

今まで自分が通ってきた経験、考えを後人に伝える時期です。(庚)

 

教える、伝えると言うのは難しいもので、自分の経験全てを含めた言外の事の方が遥かに重要だったりします。

 

そして、相手の経験や知識に合わせる必要もあります。

 

想いを全て乗せても、相手が同等か少し下にいなければ、文字面、言葉尻しか伝わりません。

 

それらすべてを包み込むようにして伝えられる時期です。

 

ハードルとしては、今までの生きざまを背中で見せられるかと言ったところでしょうか。

静かに魅せる事。

 

 

人生と九と十二⑦

6つ目は人生における転換期のもう一つの時期です。(己)

 

社会的に安定していた生活から、また社会の一部からは離れ、個人や家族との時間が多くなります。

 

今まで仕事が全てと生きてきた人は生活や環境の変化に順応しなければいけません。

 

つまり、新しい環境で生活する初心者としては地位が低いものの、年齢としては様々な関係となる為、今まで引っ張ってきたような若者に対しても素直に聞いて従うような気持ちの転換が必要になります。

 

ハードルのキーワードは、しいて言えば臨機応変

 

 

人生と九と十二⑥

5つ目は、全てにおいて安定しているはずの時期。(戊)

 

社会的に安定した状態なので、心身共に充実していますが、仕事から離れ自分の人生やエネルギーの衰えの兆しを感じる時期でもあります。

 

この時期はエネルギーとしては余力があるものの、安定しているからこそ次に来る生命エネルギーの下降を予測して、養生に務めて行く事がハードルになります。今までの人生ではエネルギーがが充分にあり、無くなることはないと感じている人が多い為、欲求のままに奔走することができましたが、ここからはプライオリティを定め、断捨離が必要になります。

 

社会的地位が高くなった人は、自分より下の人の意見にどれだけ耳を傾けられるか、自分を変えられるかが最後の終着点に大きく左右します。