衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(17)-7

【直訳】

善積(ぜんつ)まざれば、もって名を成すに足らず。悪(あく)積まざればもって身を滅ぼすに足らず。小人は小善をもって益なしと為して為さざるなり。小悪をもって傷(そこな)うなしと為して去らざるなり。故に悪積みて掩(おお)うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、校(かせ)を何(にな)いて耳を滅(やぶ)る、凶なり、と。

 

【原文】

善不積。不足以成名。惡不積。不足以滅身。小人以小善爲无益而弗爲也。以小惡爲无傷而弗去也。故惡積而不可掩。罪大而不可解。易曰。何校滅耳。凶。

 

 

【私的解釈】
 善を積まなければ、名をなすには足りない。悪を積まなければ、身を滅ぼすには足りない。小人は自分に益がなければ小さな善も行なわず、自分が傷つかないからと小さな悪をやめない。だから悪を積んでいるのに隠すこともせず、罪が大きいのにやめないのである。易にいう、首枷を荷って耳を使えなくなるので凶である、と。

 

 ここに書かれている易に言うとは火雷噬嗑の上爻を指しています。

2つの節で火雷噬嗑の初爻と上爻を示しています。

 

 エネルギーが溢れている時に更に何かを進めようとすれば、他の関係ない事はしっかり切り離しておく事から始め、そこに真がなければ行きすぎてしまう可能性を示唆しています。

 

 集約すると乾為天の流れにも似ています。

 

 例えば自分はどんなに良い事だと思っていても、それを伝える人や導こうという(これは驕りも既にあります)人がその方向を向いていない、或いは強制性をもってやらせようとすれば、最終的には仲違いするか、お互い関わらなくなってしまいます。

 

 つまり、どんなに良いことであって、自分の主張が正しくても、押しつけすぎたり、

やりすぎると結局は誰もついてこなくなると。

 

 身体であっても同様ですね。

 

 心がどんなにやりたくても、身体がついていかなければ結局身体を壊してしまいます。これは怪我をした原因がどこにあるかにも関わってきます。

 

 火雷噬嗑 f:id:shuji0211:20170511192056j:plain の大成卦は、エネルギーがある中で更に瞬間的なエネルギーが発揚する姿。

 

 初爻(第一段階)は、動きにくく面倒な事はあるが、大きな問題にはならない。

 六二(第二段階)は、小さな傷はできるが真を貫くには問題がない。

 六三(第三段階)は、真を捉え間違えている可能性があるのでしっかりと考える時。

 九四(第四段階)は、真は捉えているが大きなハードルに苦しむ時。

 六五(第五段階)は、かなりのリスクはあり、痛みを伴うが真を掴める時。

 上九(第六段階)は、どこかで真を捉え間違えて大きなリスクを負う。

 

 (14)よりも原文に従って、自分流に意訳するとこうなります。