言葉を繋ぐ(24)-4
【直訳】
天地位を設け、聖人能を成す。人謀(はか)り鬼謀って、百姓も能(のう)に与(あず)かる。
八卦象をもって告げ、爻彖は情をもって言う。剛柔雑居して吉凶見るべし。
変動は利をもって言い、吉凶は情をもって遷る。
この故に愛悪(あいお)相い攻めて吉凶生ず。遠近相い取りて悔吝生ず。情偽(じょうぎ)相い感じて利害生ず。
およそ易の情は、近くして相い得ざれば、凶。あるいはこれを害す、悔いありて且つ吝なり。
【原文】
天地設位。聖人成能。人謀鬼謀。百姓與能。
八卦以象告。爻彖以情言。剛柔雜居。而吉凶可見矣。
變動以利言。吉凶以情遷。
是故愛惡相攻而吉凶生。遠近相取而悔吝生。情偽相感而利害生。
凡易之情。近而不相得。則凶。或害之。悔且吝。
【私的解釈】
天地上下と言う位置を決める事で聖人は様々な言動や行動を易の理に則って発する。人が理解できない先を考え、天地万物の霊魂に働きかけ、庶民はその働きに加わる事ができるだけである。
八卦は象(イメージ)を使って人に告げ、爻辞や彖辞(卦辞)は誠の心をもって言葉で告げる事である。剛と柔が入り交じっているので吉凶が出る。
変動は利を得られるものを言葉にし、吉凶は情で巡って行く。
上記のような理由から、愛しさと悪みは互いに攻めぎあい吉凶が生じる。
遠くまで考えるのか近くを考えるのかをその時その時に互いに選びとるので悔吝が生じる。誠と偽りとが互いに感応する事で利害が生じる。
一般的に易の誠とは、近くで互いに得られなければ凶であり、あるいは相手を損ない、悔いがありかつ吝となる。
順番としては、空間の上下・前後・左右という六方を決める事で、自分がどこから見ているのか、アプローチしているのかを見定める。これによって言動・行動を行えば、
今うまく行かなくても将来的にはプラスにでき、今うまく行っても更に次の段階がある事が理解できる。
このようなロジックを端的にあらわしながら(乾)、理解して貰う為(坤)には八卦という平面空間の理解から始める方が良い。
爻辞や彖辞は今この瞬間の状況をイメージで現しているので、近い未来の良悪を表現しているだけであるが、これを相手に理解して貰わなければ結局何の変化も起きない。
無極 ←→ 太極 ←→ 両儀 ←→ 四象 ←→ 八卦 ←→ 六十四卦
上記の図式から、無極 ←→ 六十四卦 の図式への変化。
また、太極(1)←→ 三百八十四爻(384)が同じだという事を端的に言葉にしています。
そして、これは図式がイメージできたら実際の出来事に当てはめていくことが大切で、実践できなければ絵に描いた餅でしかありません。
言葉を繋ぐ(24)-3
【直訳】
この故に変化云為あり、吉事には祥あり。事に象(かたど)って器を知り、事を占って来(らい)を知る。
【原文】
是故變化云爲。吉事有祥。象事知器。占事知來。
【私的解釈】
このようなわけで、変化が起こった後に言動や行動があり、吉事には兆しがある。事物を形にして器を知り、事物を占って未来を知る。
八卦は象をもって人に告げ、爻辞や彖辞(卦辞)は誠をもって言葉で告げる。剛と柔がまじり入りて吉凶が見られる。
1つの変化には兆しがあり、この兆しから言動や行動に移り、次は誰かに影響して繋がっていきます。
もし、今怪我をしたというような場合、慌てていたのか、ボーッとしていたのか、
心が行動に対する注意が及ばない何かに囚われていたのではないでしょうか?
見えない心の加減が怪我という形になったり、病気という形になったりします。
八卦にまで広げられると、それが言葉で具体的に現す事ができるようになり、
その言葉によって悪い方向へ行っていた流れも中和されたり、或いはより悪い方向へいったり、良い方向へ行っていたとしても行きすぎないように警告する意味があったりします。
言葉を繋ぐ(21)-4
【直訳】
二と四とは、功を同じくして位を異(こと)にす。その善は同じからず。二は誉れ多く、四は懼(おそ)れ多し。近ければなり。柔の道たる、遠きに利ろしからざる者なれど、その要の咎なきは、その柔中を用(もっ)てり。三と五とは、功を同じくして位を異(こと)にす。三は凶多く、五は功多し。貴賤の等(とう)なり。その柔は危うく、その剛は勝(た)うるか。
【原文】
二與四。同功而異位。其善不同。二多譽。四多懼。近也。柔之爲道。不利遠者。其要无咎。其用柔中也。三與五。同功而異位。三多凶。五多功。貴賤之等也。其柔危。其剛勝邪。
【私的解釈】
二爻と四爻とは、どちらも偶数(陰の数)としての働きは同じだが大成卦としてみると位置が異なっているので当然利点も同じではない。
二爻は良い事が多く、四爻は良くない事が多い。なぜなら四爻は五爻という大成卦の中でも頂上にあり、上爻は変化する為安定した君主という位置のすぐ傍にあるからである。
柔(陰)の道は君主から遠い場合は本来不利だが、その要として咎がないのは、二爻(柔)が内卦の中にいるからである。三爻と五爻も働きは同じだが位置が違う。
三爻は凶が多く、五爻は手柄が多い。身分の高低の段階が違うからである。三爻と五爻は陽位なので、柔爻は危うく、剛爻は持ちこたえる事が多い。
数字の違いで六爻の位置の意味を簡釋しています。
二爻と四爻は偶数なので陰の爻であり、四隅に配置されやすい数字です。
四隅と言うと二と四に区別できないから二、四と言う2つの区別になっているだけです。ちなみに六爻は上爻と呼び、天を指すので偶数には入りません。
偶数が安定しやすい位置は下であり、内である小成卦。その為、二爻の方が良いことが暗示されやすく、四爻は陽のところに陰があるので変化が大きいという事です。
三爻と五爻も同じ理論で考える事ができます。
善惡(良し悪し)で考えると、悪い事と表現していますが、変化が大きいのが陰陽相交している、偶数の位置に陰数の爻がある場合と奇数の位置に陽数の爻がある場合と言っているので、法則性を暗示しているだけと考える事が重要で、その変化をどう捉え、どうクリアするかが大切です。
総括すると、マイナスの事が内で起きても無事に過ごせる事が多く、外で起きるマイナスの事は自分が越えるべきハードルであって、辛く苦しくても越えた方が良い方向へ向かう事を示しています。
プラスの事項に関しては、変化が大きい楽しい事に人は引かれやすいものの、
身体(地・下)の中であまり大きな変化があるのは望ましいことではなく、心の中(天・上)で良い変化があれば身体も良い方向へ行きやすいという事です。
外から見るか、中から見るか、上から見るか、下から見るか同じものでも違うように見えます。結局は同じもの。
言葉を繋ぐ(24)-2
【直訳】
能(よ)くこれを心に説(よろこ)び、能くこれを慮(りょ)に研(みが)き、天下の吉凶を定め、天下の亹亹(びび)を成す者なり。
【原文】
能説諸心。能研諸侯之慮。定天下之吉凶。成天下之亹亹者。
【私的解釈】
乾坤の徳によって、自分だけでなく周囲の人も本当の意味で喜ぶことができ、また細やかな計らいを磨くことができる。世の中の良し悪し吉凶を見定めるには、世の中の善悪、流行等に迷わされずに弛まぬ努力をする事である。
人は思いもよらず、世間一般の常識に囚われているものです。
何か形を作るとそれが拠り所になるから。
そこから逸脱すると非常識と言われます。
常識を基準とせずに、常に乾坤の兼ね合いを考えて、言動、行動すればいつの間にか非常識と言われていたものも受け入れられます。
言葉を繋ぐ(24)-1
【直訳】
それ乾は、天下の至健(しけん)なり。徳行恒(つね)に易(い)にしてもって険を知る。それ坤は、天下の至順(しじゅん)なり。徳行恒に簡にしてもって阻を知る。
【原文】
夫乾。天下之至健也。德行恆易以知險。夫坤。天下之至順也。德行恆簡以知阻。
【私的解釈】
乾とは天下のこれ以上ない健なかなものである。徳にかなった正しい行ないは、常に優しくすることで厳しさを知ることである。
坤は天下のこれ以上ない順なるものである。徳にかなった正しい行ないは、手軽にすることで端緒を掴ませ、その後にその精妙さを実現することの難しさ、険しさ、厳しさを理解させる事である。
人と共に学んでいく姿勢として、
自我や自尊心が悪いのではなく、自我や自尊心が大きく伸びやかな人はそれを人に優しくする事(坤)に転化できれば、そこから人は厳しさを受け取る事でしょう。受け取れなければ、それはその人の問題で、その時期になかったのか、その方向を向いていないだけです。
優しさや気配りの大きな人は、その性質によって人と仲良くなりやすく、受け入れやすくすることができるので、そこから徐々に難しい事、精妙な事(乾)を実現できるように寄りそって行ければ難しさ、険しさ、厳しさも理解できるようになります。但し、その時期にない人、その方向を向いていない人は、その優しさに浸かり、甘えるだけになるという錯卦もあるので充分に注意する必要があります。
言葉を繋ぐ(23)
【直訳】
易の興るや、それ殷の末世、周の盛徳に当るか。文王と紂(ちゅう)との事に当るか。この故にその辞危うし。危(あや)ぶむ者は平らかならしめ、易(あなど)る者は傾かしむ。その道はなはだ大にして、百物廃(すた)れず。懼れてもって終始すれば、その要は咎なし。これを易の道と謂うなり。
【原文】
易之興也。其當殷之末世周之盛德邪。當文王與紂之事邪。是故其辞危。危者使平。易者使傾。其道甚大。百物不廢。懼以終始。其要无咎。此之謂易之道也。
【私的解釈】
易が盛んになったのは、そもそも殷の末世であり、陰徳が盛んになった周が中華を支配する時に当たるだろう。また文王と紂王との徳の違いにも当たるだろう。だからその言葉(彖辞)には危険性が伴う。危ういと感じる者は平安にしようとし、侮る者は傾けてしまう。易の道ははなはだ大きく、多くのものは廃れていない。警戒しながら終始すれば、その要は咎はない。これこそが易の道といえるのである。
易の道(陰陽太極)について、殷朝の最後は紂王であり、人々に影ながらその徳を崇められていた周の文王が殷に取って代わった時代です。
また殷の紂王は酒池肉林や蠱毒、炮烙(ほうらく)の刑等の言葉を生んだ事で知られる暴君であり、周の文王は後天八卦を描いたと言われる英雄とも言える人です。
この2つの対比から、様々な事象についての危険や不安、例えば気候が荒れる、
政治情勢が不安定となる、人との付き合いがうまくいかなくなる等を抽象的に表現しています。
このようなバランスの崩れがあるからこそ、それを安定させようと考え、安定している人は不安定な方向へ走りがちだと言っています。
その為、どんな時でも不安定さや危険性を心の片隅に認識しながら、安定する方向へ向かおうとすれば必ず悪い事は起こらない、これが易の法則性の大要だと言っているのだと考えています。
言葉を繋ぐ(22)
【直訳】
易の書たるや、広大にして悉(ことごと)く備わる。天道あり、人道あり、地道あり。三才を兼ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。六とは它(た)にあらず。三才の道なり。道に変動あり、故に爻と曰う。爻に等あり、故に物と曰う。物相い雑(まじ)る、故に文(あや)と曰う。文当らず、故に吉凶生ず。
【原文】
易之爲書也。廣大悉備。有天道焉。有人道焉。有地道焉。兼三材而兩之。故六。六者非它也。三材之道也。道有變動。故曰爻。爻有等。故曰物。物相雜。故曰文。文不當。故吉凶生焉。
【私的解釈】
易の書は、広い分野にまで及び細部にまで渡っているので全てが備わっていると言える。天の道も人の道もここに全てがあり、地の道もここに全てがある。三才(天と地と人)を二つ重ね合わせて対をなすものにすることで、六爻になっているのである。六とは他でもない、三才の道である。道には変動があるので爻を作っている。爻には位置という時間の流れによる変化があるのでこれを今起きている現象としている。現象同士が互いにまじり入るので、それを文(模様)と言って言葉にしている。文が当てはまらない場合に、その人の心は吉凶を生じる。
易は全ての法則性を伝える為にあらゆる物事、現象を簡単に纏めている。簡単に纏めているので、もう一度自分の目線で広げて高めていく必要がある。
それができると、天も人も地も同じであることが分かり、それぞれの道も分かる。
更に細かく時間の流れを示す為に爻という概念がある。この爻という概念は、他者の爻や天地の爻とも混じり合うので、それを具体的に言葉にすることで、その人の今の状態、向かっていく方向などを示す事はできるが、その爻をどう考え、どう感じるかはその人次第であり、その人が良いと思えば吉、悪いと思えば凶というだけのこととなる。
素問・上古天真論篇第一には、
男性は八の倍数で身体の変化の目安とし、女性は七の倍数で身体の変化の目安とするという話がありますが、この話の隠れた部分となります。
三才が重なって六爻となり、この六爻を地とし、天は1つなので九とすると、
大きな目線では、六爻(地)、七・八(人)、九(天)となります。
古代東洋では九が最高の数字であるとされた数の理論に従っているという事です。