衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

眉間の皺

観相学では、ここを印堂と呼びます。

 

そして小人形法では肺に当たる部分。

 

肺は蓋であり、器の大きさだけ必要なので、眉間の広さが心の広さだと

 

私の解釈で良く言っています。

 

ここに皺が寄るのは、

 

1、苦労、苦節を感じてきた過去

 

2、外からの圧力に粛降を強めている現在

 

3、自我が悶えている未来

 

簡単に見えない天人地に分類するとこうなります(私的な今の感性では)

 

通常は(黄色人種は黄色ベースの)白、ピンク

 

心身が病むとその状況によって変化

 

そして中央の眉間は気(現在、未来)をあらわし、外側の眉は形をあらわしています(過去)。

 

眉だけで考察する場合はまた反射区が変わりますw

 

毎日、恬淡虚無を実践できているとこの皺はなくなります。

観相学と反射区、東洋医学

前回書いたものと繋がりますが、

 

観相学とは、顔の骨格、気色を照らし合せてその人の過去、現在、未来を分析してするものですが、これも観相学というバイアスであり、反射区です。

 

この反射区は大まかに分類すると、

 

骨相→過去→地

 

発育度合い→過去から現在→人

 

気色→現在から未来→天

 

を分析した後、

 

疾病であれば小人形法を用いて更に細かく簡便に分析します。

 

つまり、顔をという大きな宇宙を天人地三才で分析した後、天(気色)の加減を人(部位としての中停、真ん中)から観る。

 

聖人は人でありながら、天を観て判断することになっています。

 

 

 

 

 

 

バイアスと反射区、東洋医学

バイアスと言う言葉を易を用いて解釈すると、

 

ある一定の角度、方向から観る事(乾)。

 

反射区と言う概念を易を用いて解釈すると、

 

ある範囲内に太極を設定して(極)、

 

それを普遍的なものと仮定して(通・坤)、

 

普及させ、長く使えるようにしようとするもの(似久)。

 

この乾坤が合致するときは、

 

極則変、変則通、通則久となり故がある。

 

合致しないときは故なし。

 

このバイアスと反射区が合致しているかどうかを測定するものと基準をどうするか。

 

天(気)は、変化が激しく

 

地(形)は、変化に乏しい

 

人を観るのは、血に形気の動きを集約して観るのが、1番象・数・理に適うのではないか?

 

と、言うのが東洋医学の診察の根源。

徳の陰陽(7)

効能

 

こう書くと、私的には一気に胡散臭くなります。

 

しかし、こう書く事で何かしらを感じる人が増えるのであれば、それも陰陽平衡なので、敢えて太極を小さくして書きます。

 

威と仁の効能

 

威は太極を非常に小さくする事で短期的(人によっては長期的)な目標の実現、指導、志の強化が得られます。

 

仁は小さな太極を繋げたり、様々な太極を認め、含めていく為、短期的な小さな太極はぼやけたり存在しないかのように感じますが、志自身だけを大きくします。

 

法は、どのような人(集)にも適応すべく考えられますが、個を判断するのは人、物、状況により、他者が判断します。

 

ここには必ず思想が入ります。

 

つまり、法と思想は陰陽の両側面。

 

言い替えると、法則性の裏には個の思想が入ります。

 

ここを履き違えると、法則性はただの形になり、そこに命(変化)が吹き込まれず、形によった老衰死(形骸化)しか残りません。

 

極則変、変則通、通則久。

 

これが周易の根本法則であり、あらゆる思想の土台になるはず。

 

そして、そこに必要なものが仁と威。

 

そう考えています。

 

 

徳の陰陽(6)

陽徳は、例えば誰かにする施し、教える事や導く事。

 

陰徳は、例えば公共の場所を人知れず清掃することや神社仏閣等へ行ったり、瞑想したり、先祖供養等。

 

誰でも普段行う、行える事です。

 

自分の住んでいるところの清掃は、自分自身の心の浄化(欲、威)がベースとなっています。

 

それはそれで良い面がありますが、様々な人やものと触れ合う場所の清掃と言うところにポイントがあります。

 

神社仏閣でも、流行で行ってみるのと、淡々と自分の今までの感謝や報告を行うのでは陰陽が異なります。

 

流行やパワースポットとして行くのは陽

 

報告や感謝を伝えるのは陰

 

陽から始めたとしても陰に繋がれば良く

 

そこに善悪はありません。

 

 

 

 

徳の陰陽(5)

徳の陰陽を仁と威という太極に矮小化してみました。

 

医は仁なり

 

という言葉が有名になったのは貝原益軒の養生訓と言われていますが、更に元を辿れば丹波康頼の医心方へ、そして孫思邈の千金要方へと遡る事ができます。

 

簡単に言うと仁と威(優しさと導く力)。

 

この仁と威が前提にある事で無意識下で術者と患者が一体化し、健全な心腎相交(水火既済、心身一如、自然の流れとの調和)が行われている事が前提として施術を行うのが最高の鍼を実践するものだと感じています。

 

 

徳の陰陽(4)

陰徳はわかりにくいけれど、人の為、何かの為に長い期間益となるような陰の働きかけです。

 

これに対して陽徳は分かりやすい天の徳ですが、昔は威と言う言葉でもあらわされています。

 

存在しているだけで、頼もしい、頼りになります。そして義に背く事に対して大きな力を発揮します。

 

しかし、この威は往々にして権限や権力と繋がります。

 

権威と呼ばれるものです。天の陽と人の陽が重なった時です。

 

誰しも権威を指標にしがちですが、ここに注意する必要があります。

 

陽徳は使い方に注意する必要が多く、それに対して陰徳は積めば積むほど、陽徳とのバランスを取る作用と自分や周囲のバランスを取る作用が発揮される為、古の医家は先ず初めにこの事を唱えているのであろうと推察しています。

 

そして、この陰陽の徳の時間的な流れを具体化しているのが、乾坤でもあります。