衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の陰陽(1)

道徳の語源となった、道と徳。

 

道は地にあり太極を示し、

 

徳は天から流れ無極を示していると考えています。

 

だから天徳とも言います。

 

コツコツ行うことを地道と言いますが、

地道の対義語ですね。

 

この徳にも陰陽があります。

 

目に見えて、人を引っ張り、集め、

 

何かを成し遂げたり、何かを得る為に行動する事を陽の徳。

 

一見何もしていないようで、陰で支えたり、

見守ったり、助言を与えるのが陰の徳。

 

中医基礎理論

上海の先生は、第五版以降は使わないと昔聞いてました。

 

今回、ちょっと後輩の助けとなる為に、第五版を久し振りに取り出し、私的解釈を含めて翻訳していたら、やっぱり第五版は深いな〜と改めて感心。

 

第五版  7の病機に関しての冒頭は、

 

病机,即疾病发生,发展与变化的机理。疾病发生,发展与变化,与患病机体的体质强弱和致病邪气的性质密切相关。病邪作用于人体,机体的正气必然奋起抗邪,而形成正邪相争,破坏了人体阴阳的相对平衡,或使脏腑,经络的功能失调,或使气血功能紊乱,从而产生全身或局部的多种多样的病理变化。因此,尽管疾病的种类繁多,临床征象错综复杂,千变万化,各个疾病,各个症状都有其各自的病机,但从总体来说,总离不开邪正盛衰,阴阳失调,气血失常,经络和脏腑功能紊乱等病机变化的一般规律。

 

 

第七版 第六章の病機に関しての冒頭は、

 

 病机,即疾病发生,发展于变化的机理。疾病的发生,发展与变化,与患病机体的体质强调和致病邪气的性质密切相关。病邪作用于人体,机体的正气必然奋起抗邪,而形成正邪相争,破坏了人体阴阳的相对平衡,或使脏腑,经络的功能失调,或气血功能紊乱,从而产生全身或局部的多种多样的病理变化。因此,尽管疾病的种类繁多,临床征象错综复杂,千变万化,各个疾病,各个症状都有其各自的病机,但从总体来说,总离不开邪正盛衰,阴阳失调,气血失常和津液代谢失常等病机变化的一般规律。

 

句読点の区別をしていないので分かりにくいですが、

1番最後の文章、

 

上は「しかし総体的に言うと、邪正の盛衰、陰陽失調、気血の失常、経絡と臓腑機能の乱れ等から離れる事のない病理機序の変化の一般的な規則である。」

 

下は「しかし総体的に言うと、邪正の盛衰、陰陽失調、気血の失常と津液代謝の失常などの病理機序変化と離れる事のない一般的な規則である。」

 

以降も読み比べて見ると分かりますが、第五版の方がおもろいw

 

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中医基礎理論第五版

 

老中医(2)

江蘇省から上海に来て、初めての難関を突破した翁泉海。

 

 裁判が終わった後、趙閔堂と呉雪初が二人で酒を酌み交わしながら、呉雪初が言った言葉が秀逸でした。

 

「秦仲山患病日久,大骨枯槁,大肉陷下,五脏元气大伤,营卫循序失常。

脉如游丝,似豆转脉中,且舌苔全无。此乃阴阳离绝,阳气欲脱,回光返照之先兆也。可那翁泉海奇怪了。他不用大剂量补气得人参,黄芪。也不用補阳的鹿茸,附子。他偏偏用补中益气汤。这样平淡无奇的小方,以求補离散之阳,挽敗绝之阴,清虚中之火,升下陷之气。不温不火,不轻不重,分寸掌握得十分精准。」

 

秦仲山の病の重さを邂逅する一節。「骨は枯れ、肉は落ちくぼみ、脈は細く脈の中に豆が転がるようにあり、舌苔は全く無い。こんな風に陰陽離決し、回光反照の前兆が現れていたにも関わらず、補中益気湯のような平凡かつ小方を使って陽気の離散を補いながら、陰気が絶えないように助け、虚中の火を冷まし、下陷している気を昇らせ、温めず火を消さず、軽重自在に扱っていたのはものすごく精密な腕があった事が理解できる。」 

 

と呉雪初が言っています。

 

 

何より

「无论你来自何处何地哪门哪派,这手高手低,还得在病上见真章」

 

出自が何でどこから来て、どの門派に属しようとも、そいつの腕次第。

病の前では真価が問われる。

 

上海一の西洋医として名の知られた趙閔堂と中国鍼灸の伝人とされる呉雪初の会話を一部抜粋してみました。

 

老中医(1)

CCTVで放映されたと聞いて、中華民国時代前後の鍼灸、中薬、気功等がたくさん出てくるのを期待して見てみました。

 

まぁ、期待は落胆の母ですね笑

約五十話ある内のプロローグですので、専門的な事を求めるのが間違ってました。

 

第一話ではドラマの始めらしく、様々な人間模様が描かれているだけで、

 

お、と思ったのは少女達が楽しそうに歌訣を吟じていた場面と牢屋の中で主人公が診察していたところくらいでした。

 

しかしながら、10話くらい観ていると、

やはり主人公がどのように陰徳を重ねているか、どんな権威よりも陰徳を重ねる事が何よりの宝であり、威となる事を教えてくれているように思います。(あくまでも個人の感想です)

 

まだ、全話無料公開はされてませんが、観る事ができる方は1度観てみてください。

 

 

言葉を繋ぐ(24)-5

【直訳】

まさに叛(そむ)かんとする者は、その辞慙(は)ず。心中疑う者は、その辞枝(わか)る。吉人の辞は寡(すくな)く、躁(そう)人の辞は多し。善を誣(し)うるの人は、その辞游(ゆう)し、その守を失う者は、その辞屈す。

 

 

【原文】

將叛者其辭慙。中心疑者其辭枝。吉人之辭寡。躁人之辭多。誣善之人其辭游。失其守者其辭屈。

 

【私的解釈】
 今にも背こうとしそうな者は易の辞を恥じる。心中を疑う者は易の辞は分れる。りっぱな人の辞は少なく、騒がしい人の辞は多い。善を詭る人は、その辞はゆらゆらと動き、その守りを失う者は、その辞は屈する。

 

 心の誠に関しての言葉で締められています。

 

 易に書かれている言葉に対して批判をすると言う事は、易の理自体が分かっておらず、自分がどこからどの大きさで見ているかも分かっていない人。

 

 自分の心に誠がない人は、易の言葉自体を理解できていない。

 

 本当に分かっている人は、伝える相手の思考や実践を邪魔しないように、流れ自体を無理やり変えないように発する言葉自体は少ないものなので、あれこれ多くの言葉を労する人には誠の心は少なくなる(陰陽)。

 

 良い事をしていると誤認している、或いは良い事の裏に邪な考えを持っている人の言葉はブレが多く、誠の心が少なくなった時点で言葉が空虚に空回りする。

言葉を繋ぐ(24)-4

【直訳】

天地位を設け、聖人能を成す。人謀(はか)り鬼謀って、百姓も能(のう)に与(あず)かる。

 

八卦象をもって告げ、爻彖は情をもって言う。剛柔雑居して吉凶見るべし。

 

変動は利をもって言い、吉凶は情をもって遷る。

 

この故に愛悪(あいお)相い攻めて吉凶生ず。遠近相い取りて悔吝生ず。情偽(じょうぎ)相い感じて利害生ず。

 

およそ易の情は、近くして相い得ざれば、凶。あるいはこれを害す、悔いありて且つ吝なり。

 

【原文】

天地設位。聖人成能。人謀鬼謀。百姓與能。

 

八卦以象告。爻彖以情言。剛柔雜居。而吉凶可見矣。

 

變動以利言。吉凶以情遷。

 

是故愛惡相攻而吉凶生。遠近相取而悔吝生。情偽相感而利害生。

 

凡易之情。近而不相得。則凶。或害之。悔且吝。

 

【私的解釈】
 天地上下と言う位置を決める事で聖人は様々な言動や行動を易の理に則って発する。人が理解できない先を考え、天地万物の霊魂に働きかけ、庶民はその働きに加わる事ができるだけである。

 

八卦は象(イメージ)を使って人に告げ、爻辞や彖辞(卦辞)は誠の心をもって言葉で告げる事である。剛と柔が入り交じっているので吉凶が出る。

 

変動は利を得られるものを言葉にし、吉凶は情で巡って行く。

 

上記のような理由から、愛しさと悪みは互いに攻めぎあい吉凶が生じる。

 

遠くまで考えるのか近くを考えるのかをその時その時に互いに選びとるので悔吝が生じる。誠と偽りとが互いに感応する事で利害が生じる。

 

一般的に易の誠とは、近くで互いに得られなければ凶であり、あるいは相手を損ない、悔いがありかつ吝となる。

 

順番としては、空間の上下・前後・左右という六方を決める事で、自分がどこから見ているのか、アプローチしているのかを見定める。これによって言動・行動を行えば、

今うまく行かなくても将来的にはプラスにでき、今うまく行っても更に次の段階がある事が理解できる。

 

このようなロジックを端的にあらわしながら(乾)、理解して貰う為(坤)には八卦という平面空間の理解から始める方が良い。

 

爻辞や彖辞は今この瞬間の状況をイメージで現しているので、近い未来の良悪を表現しているだけであるが、これを相手に理解して貰わなければ結局何の変化も起きない。

 

無極 ←→ 太極 ←→ 両儀 ←→ 四象 ←→ 八卦 ←→ 六十四卦

 

上記の図式から、無極 ←→ 六十四卦 の図式への変化。

また、太極(1)←→ 三百八十四爻(384)が同じだという事を端的に言葉にしています。

 

 そして、これは図式がイメージできたら実際の出来事に当てはめていくことが大切で、実践できなければ絵に描いた餅でしかありません。

言葉を繋ぐ(24)-3

【直訳】

 この故に変化云為あり、吉事には祥あり。事に象(かたど)って器を知り、事を占って来(らい)を知る。

 

【原文】

是故變化云爲。吉事有祥。象事知器。占事知來。

 

 

【私的解釈】
 このようなわけで、変化が起こった後に言動や行動があり、吉事には兆しがある。事物を形にして器を知り、事物を占って未来を知る。

 

八卦は象をもって人に告げ、爻辞や彖辞(卦辞)は誠をもって言葉で告げる。剛と柔がまじり入りて吉凶が見られる。

 

 1つの変化には兆しがあり、この兆しから言動や行動に移り、次は誰かに影響して繋がっていきます。

 

 もし、今怪我をしたというような場合、慌てていたのか、ボーッとしていたのか、

心が行動に対する注意が及ばない何かに囚われていたのではないでしょうか?

 

 見えない心の加減が怪我という形になったり、病気という形になったりします。

 

 八卦にまで広げられると、それが言葉で具体的に現す事ができるようになり、

その言葉によって悪い方向へ行っていた流れも中和されたり、或いはより悪い方向へいったり、良い方向へ行っていたとしても行きすぎないように警告する意味があったりします。