衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(12)

易には天から助けがあると書かれています。

 

天の助けは時間の流れと共に流れてきます。人の助けを得るには信じる事、誠実さを保つ事が大切です。

 

信じてから後、考えるのが順当な時間の流れです。

 

知恵がある人は、そうすることで天からの助けを受けているので、良い事は成功し、悪い結果にはなりません。

 

孔子は、書物には書き尽くせず、言葉では意を尽くせないと言っています。聖人の意図は深く、あらわれないのです。

 

聖人はイメージを立てる事で意を尽くし、卦を作ることで情報・状態を尽くしていると孔子は言っています。

 

繫辞(言葉を繋ぐ)は言葉でそれを表現しています。

 

この言葉が変わっても、それは見ている角度が違うだけなので、真が変わっていなければ意味は通じ、良い事が起こります。これらの事に集中する事で神が降りて来ます。 

 

乾坤は易の象徴であり、乾坤によって理(ロジック)や象(イメージ)の組み立てができるようになります。易はその軸を作るもので、乾坤がなければ易もありません。

 

上記の理由から、道とは形而上(形のない感覚や現象など)のものであり、形而下(形となってあらわれている)のものは器と呼んでいます。

 

形が変化しても道を維持していれば変と呼び、この形から敷衍して考えられる事を通と呼び、これらを使ってあらゆることに応用できることを業と呼んでいます。

 

聖人は奥深い象(イメージ)の中から、そのイメージに合う形に形容して象と言っています。あらゆるものの動きを観察して共通するものを通としています。

 

その為、道に沿った行動を礼と呼んでいます。

 

言葉を繋いで良悪の判断をする事を爻(こう)と呼んでいます。

 

奥深い理論は卦にあり、それを言葉によって動かし、腑に落ちれば変化します。

その変化を推敲して行動に移せば万事に通じます。

 

神がこれを明らかにし、それを行うのはその人です。

 

黙っていてもこれらに則っていれば達成でき、黙っているのは誠実に信を実行しているからであり、そこには徳が流れているのです。

 

言葉を繋ぐ(11)

孔子は、易とは何か?と尋ねています。

 

易とは何かを成し遂げる為に必要なものは何か、本質とは何かを考えていく為のものです。

 

本質的な事を考える際の枠組の始めから終わりを決める事で、何をどのような順序で行って行くことが目的のスムーズな完遂となるかを示してくれています。

 

このことを粛々と行っている人の事を聖人と呼んでいます。

 

    聖人はあらゆる事柄の情熱、志を理解し、目標達成に必要な道具を順序立てて使うことができ、様々なハードルや岐路で何をすれば良いのかを知っている人です。

 

占う事(判断する事)の利点は円(天・感性)にあり、神にあります。

卦の利点は四角(地・理論)にあり、意味を理解する事にあります。

六爻(今、この時・機)の意味は易に備わっています。

 

聖人はこれらの事を含めながら、心を磨き、密かに持っています。

 

あらゆる物事の良悪は、人に影響し、人からも影響されます。

 

神はそれを予め啓示して、持ったままにしています。

 

古来からの叡智は神が武力を持っていても、

武は文字通り戈を止めるだけの為のものとしているようなもので、常識のレベルを遥かに超えた知恵なのです。

 

このような事から天の道(宇宙の法則性)を明らかにし、人に何か起こった時や何が起こるかの予測として用いているのです。

 

これが人に使うことのできる神からの贈り物であり、聖人はここから戒めを集めています。

神が徳を示し照らしてくれているのです。

 

扉を閉める事を坤と呼び、扉を開ける事を乾と呼びます。扉の開閉が変、変化が絶え間ない事を通、見たイメージを象、形を器、制御する事を法、人が感じ、使うことのできる事を神と呼んでいます。

 

易には太極があり、太極が両儀を生み、両儀四象を生み、四象八卦を生み、八卦が良悪を決め、良悪が大きな業わ生みます。

 

その為、法則性とイメージは天地の範囲を越えず、変化して通じるものは四季の区別と流れから離れず、イメージは太陽と月から派生していったものとなり、崇高さは富貴となります。元々誰もが持っているものを使っているだけの事となります。

器を作って天下の利益とできる人は聖人以外にはいません。

 

深く隠れたところまで探り、遠い処は深く鈎を差し込んで取り出し、そうやって天地自然の良悪を判断できるのは筮竹だけです。

 

つまり、天が生んだ神の啓示に聖人は従っているだけで、天地の変化を効果的に使っているだけの事なのです。

 

天から降りてくるイメージを良悪の判断材料として図象としたのが聖人です。

 

河から河図が現れ、洛から書が現れ、聖人はそれに従っているだけです。

 

易には四象があり、これを言葉に繋いで意味によって細分化する事で良悪を決めているのです。

 

言葉を繋ぐ(9)-2

折角九宮が出てきたので、ちょっと図解で説明してみます。

 

元々の八卦九宮は平面図ですが、人体に応用する際には立方体として考えた方がイメージと理論を合致させやすい為、近年周易量子力学を説明する方法が研究されている事もあり、これを研究している人の考えを拝借して記載します。

 

天一(乾)、天三(離)は天(上)にあって陽(上)の数なので、上に配置。

 

地二(兊)、地四(震)は地(下)にあって(下)の数なので、下に配置。

 

すると、以下の図のようになります。

 

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立方体として八卦九宮を考えると、後残っているのは坤、巽、坎、艮となります。

 

乾、震、離、兊は定位として天地に配置し、

坤、巽、坎、艮は陰陽相交させるとすると、

 

上爻が陽である、巽・艮は天(上)に配置し、

 

初爻が陰である、坎・坤は地(下)に配置します。

 

巽は、天一に中央五を加えた6として、

 

艮は、天三に中央五を加えた8として、

 

上に配置します。

 

坤は地四に中央五を加えた9として、

 

坎は地二に中央五を加えた7として、

 

下に配置します。

 

すると、上下・前後・左右のある立方体で天地定位だけでなく、陰陽相交と言う動きも表現できています。

 

 

 

 

言葉を繋ぐ(10)

聖人には4つの道があります。

 

言葉で意味を示す事。

行動で変化を示す事。

形でイメージを示す事。

卜筮で判断を示す事。

 

君子と言われる人はこれを行っています。

 

行動し、質問する事によって意味を明らかにし、それを魂から出る命に喩えています。そうすれば深さも遠近も関係なく、やってくるものが察知できます。地上にある精密なものではなく、既にあるものなのです。

 

変化を踏まえて数を重ね合わせる事で、変化を理解でき、最終的には空間・時間と繋がります。

 

数の認識を極めていけば、移ろいゆく天地自然のイメージが定まります。天地自然は変化という固まってしまった言葉ではなく、今ある状態と変化をどう認識するかにあります。

 

老子が道は常に道と言うわけではないのが道だと言っているように。

 

易は考えるものではありません。無為ありき、静かに動き少なく、感じれば天地自然と一体となった証拠です。神になるのではなく、神であること、神があることを感じる事です。

 

易は聖人が極めて深く研究したものです。ただただ深く研究したからこそ、天地自然の根底、人の心根にまで通じています。

 

その為、見えないほど速いにも関わらず、見えない細部まで正確で、行動していなくても事象は変化し終わっています。

 

孔子が易には聖人の道が4つあると言っているのは、この行動、言葉、イメージ、判断を示し、全て揃えば四象から一(太極)に帰り、どれに特化するか、或いはバランス良く持っているかは、その人の特性によって異なります。

言葉を繋ぐ(9)-1

宇宙・自然・社会を数で表現してみましょう。

 

天一、地二、天三、地四、天五、地六、天七、地八、天九、地十と言う風に、天地(上下)と言う縦の広がりに、方向と言う横の広がりを加えてみます。(乾坤でもある)

 

すると天の数は五つ。地の数も五つで方向をデジタルに表現でき、天地の五つの方向でもそれぞれが陰陽として噛み合います。

 

天の数は奇数、地の数は偶数なので、天の数は合計二十五となり、地の数は合計三十となります。天地の数を合わせると五十五になり、この数を使って変化を認識し、見えないものの流れも見ていきます。

 

宇宙を数であらわす為に一旦五十と言う数を設定します。これは、五十五を無極とすると、中央の十と五の内、既に生まれている事から生数の五を抜いています。

 

しかし、これは宇宙の存在をあらわすだけ(太極)なので、変化する為にはバランスを崩す必要があり、一を抜いて四十九を使います(太極であり、陰陽消長盛衰の始まり)。

 

四十九を陰・陽として二つに分けて両儀とし、そこから一本抜いて、天・人・地の三才を象徴します。

 

次は四本ずつ分けて外していきますが、これは四季の時間が流れていくのをあらわしてしています。

 

最後に余った数がその時に出た結果であり、6、7、8、9のどれかになるはずです。

 

6は老陰、7は少陽、8は少陰、9は老陽で、老陽(太陽)、老陰(月)、少陽(星)、少陰(辰)を表現しており、これを6回繰り返します。(筮竹での占筮方法であり、宇宙から人の運命が降りてくる流れです)

 

乾の策216種(9×四象(老陰、少陽、少陰、老陽の4つ)×6(6段階の時間の推移)、坤の策144(6×四象×6)で360。60.875日×6とすると大体1年になります。

 

この乾坤二篇の策を約4倍に広げて考えると万物の時間と空間の表現ができます。

 

この為、四営(4回1セット)して変化を十分に起こし(変則通)、18回行えば6段階が揃うので卦となります。

 

八卦(はっか)は小さな完成形であり、これを引き延ばしたり、似たようなものをまとめて大きく考えると、天下自然に起こる全てを表現できます。

 

太極を明確にして、天から降りてくる感性を神と考えます。この為、人(自分)の意念と神が助け合って今の状態をあらわしています。

 

孔子は、変化の道を知っている人は神が降ろす天啓を知っているようなものだと言っています。

 

 

言葉を繋ぐ(8)ー8

(8)になっていきなり六十四卦が出てきた意味は何か?ダイナミックに考察すると、

 

呼応するもの同士が志を同じくして行動する。

その際には大きな困難を乗り越えても平然としていると、

それ以上に大きな恵みが得られ、

ここに著したような順序を立てれば物事は全て解決して

いくと言うような見方をしました。

 

       本卦  之卦     互卦 

風沢中孚 二爻 f:id:shuji0211:20170511205656j:plain   風雷益 f:id:shuji0211:20170511193731j:plain   山雷頥 f:id:shuji0211:20170511192447j:plain

 

天火同人 五爻 f:id:shuji0211:20180517231547j:plain   離為火 f:id:shuji0211:20170511192633j:plain   天風姤 f:id:shuji0211:20170511193957j:plain

 

沢風大過 初爻 f:id:shuji0211:20170511192529j:plain   沢天夬 f:id:shuji0211:20170511193919j:plain   乾為天 f:id:shuji0211:20180517225549j:plain

 

地山謙  三爻 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain   坤為地 f:id:shuji0211:20180522223048j:plain   雷水解 f:id:shuji0211:20170511193620j:plain

 

乾為天  上爻 f:id:shuji0211:20180517225549j:plain   沢天夬 f:id:shuji0211:20170511193919j:plain   乾為天 f:id:shuji0211:20180517225549j:plain

 

水沢節  初爻 f:id:shuji0211:20170511205631j:plain   坎為水 f:id:shuji0211:20170511192556j:plain   山雷頥 f:id:shuji0211:20170511192447j:plain

 

雷水解  三爻 f:id:shuji0211:20170511193620j:plain   雷風恒 f:id:shuji0211:20170511205723j:plain  水火既済 f:id:shuji0211:20170511205751j:plain

 

身体に関して、本卦、之卦、互卦を比較してみると、

 

風沢中孚の二爻では、離為火の芯(陰)が広がっています。裏では血の消耗が激しいようで、一旦上に血を巡らせて上げることで地天泰へ持って行く方が良いことを示唆しています。

 

天火同人の五爻では、上半身に気血が巡りすぎて全身に火が着いた状態となっているので、一旦下にから清熱(解熱)した方が良さそうです。

 

沢風大過の初爻では、裏では下半身はまだ大丈夫なようなので、上半身に気を引く事で元気いっぱいになる様子が現れています。

 

地山謙の三爻では、下半身特に足に問題がありながらも、症状としては下腹部から股関節を指しており、裏では気の巡りが枯渇している事を示しているので、気を下に引くことで下腹部・股関節の気を一旦下に引いて挙げる様が良さそうです。

 

乾為天の上爻は、将に鬱や実証で百会までカンカンに実して痛みがあるような場合です。当然、どこからでもしっかりと泻法ができれば初めのアプローチとしては成功します。

 

水沢節の初爻は、喉や肩あたりで詰まりがあり、かなり症状がキツくなっているので、上下どちら側からか補ってあげるのが良い方法です。

 

雷水解の三爻は、頭頂部の気が足りず、腹部の停滞から全体的に症状が伝播している為、湿邪が抜ければとりあえず身体は小康を保つようです。

 

このように、人体を六等分(数)して、イメージ(数)から時間、空間の理論を構築し、実践してみるという方法を具体的に提示してくれているものと推察しています。

 

 

言葉を繋ぐ(8)ー7

雷水解 三爻 f:id:shuji0211:20170511193620j:plain

 

 孔子は、易を創ったものは、盗みの起因を知っていると言っています。

 

易には、一般人が荷物をたくさん詰め込んで、高級車に乗れば、盗みを誘っていると書かれています。

 

本来徒歩や公共の乗り物で移動するのが普通のレベルの人が経済力のある人と同じように高級車に乗っていれば、邪な心を持った人に利用される可能性が高くなる、と今いる位置(職業やその役割)に合わないことをすると無駄に不調和を生み出す事を暗喩しています。

 

また、大切なものを隠すのがずさんになれば、邪な心を持った人の欲をかき立て盗み心を涌かせることになり、女性がなまめかしい服装をすれば、その気がなくても淫らだと吹聴しているようなものです。だからこそ、荷物を背負いながら車に乗るのは、盗賊を誘っていると言っているのでしょう。

 

  雷水解の卦は解決を示唆しています。西南方向が良く、ジッとしていても良い。問題が解決していなければすぐに解決する方が良い。

 

  ただし、ここでは三爻と言っていますので、解釈は上記になります。

 

 水面の上に雷が轟いている姿ですが、水というのは流れながらも困難にあっている姿をもあらわしているので、そこに雷のような速さと強さで変化が起きているのでしょう。

 

   つまり、無駄に不調和生み出しながらも、大きな困難と言うほどではない為、時間が解決してくれますが、位置には注意を払うべき状態です。

 

 身体的には、西南と言うと右肩前にあたります。左足の問題が右肩に急激に移る事によって解決していく可能性があります。

 

 裏には雷風恒が隠れており、自分の位置をしっかりと護る事、方針をぐらつかせなければ良い状態と言っており、

 

 小さな問題の対処を行う事で、将来の問題に発展することを避けられれば、その時点では一時的に良いが根本を解決できていないと言われています。

 

   自覚症状を治める事でその部分は症状が治まりますが、原因は治っていないと言っているようです。

 

   左足後ろに問題があって、治療する事で後に右肩前の不具合が出ている人は原因の見落としがある場合を示唆しているのではないでしょうか?