衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(73)道徳経下篇・徳経(36)

任爲(にんい)第七十三 という副題がついています。

 

 

天網恢々疎にして漏らさずと言う言葉の元になります。

 

天の計らいは、今の自分にとって大変不都合であっても受け入れる必要がある場合があります。

 

その判断は、思考が醸成した至人や聖人であっても難しいもの。

 

本来自然のままに生きることが道に適う事でもありますが、岐路に立てばやはり自分で決断する必要があるのです。

 

そしてその決断がいつ実を結ぶかは知りようがありませんが、結んだときに初めて理解できるかも知れません。

 

以下鳳凰堂流解釈

 

義に反する人を切り捨てるか、敢えてそのままにするかは、利害が大きく生じるところ。

 

天運がどちらに巡るかは、様々な因果関係の流れによる為、直ぐには判断が難しいもの。

 

天運は誰にも邪魔する事ができないけれど、

 

その分あらゆるものの関係を繋ぎ、流れていてこの繋がりと影響から漏れる事はない。

 

【直訳】

あえてするに勇なればすなわち殺、あえてせざるに勇なればすなわち活。この両者はあるいは利、あるいは害。天の悪むところ、たれかその故を知らん。ここをもって聖人すら、尚これを難しとす。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応ぜしめ、召さずしておのずから来(まね)き、繟然(せんぜん)として善く謀る。天網恢恢、疏そにして失わず。

 

 

【原文】
勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者或利、或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。