衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(53)道徳経下篇・徳経(16)

 

益證(えきしょう)第五十三と言う副題がついています。

 

自分ならどうするかを考えると、

 

智慮さえあれば、大道(自然に則った方法で人生を過ごす)をいき、無闇に色々やったりしない。

 

大道は本来的歩きやすいものですが、普通の人は決まりを求めてやたら小さい道(細かい決まりを作って縛られる方法)を好んで選ぶ傾向にあります。

 

外側ばかりキレイにしても、内臓や心が荒れ放題なら、待っているのは反乱、非道、堕落しかないことに気づいていないのです。

 

【直訳】

われをして介然(かいぜん)として知るあり、大道を行なわしむれば、ただ施(なな)めならんことをこれ畏る。大道は甚だ夷(たいら)なれども、民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)甚だ除(ととの)えば、田甚だ蕪(あ)れ、倉甚だ虚し。文綵(ぶんさい)を服し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨余りあり。これを盗夸(とうか)と謂う。非道なるかな。

 

【原文】
使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚、服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道哉。