意念と思念と観念と呪文
意念とは、ある一つの物事に集中し、意識を凝縮させる自分の中の作業。
思念とは、意念の先、集中の先にある何も考えない自分の中の現象(外と繋がる)。
観念とは、元々その人が持っていたイメージ。
ここに書く際に、言葉の定義(太極)をかなり狭めないと、伝わらない可能性があるので、敢えて本来?の字義は無視して定義します。
呪文とはこれらの心の中で動く神を1つに纏めて形にする事で、この作業を簡略化したり、土台とする為の方便。『名可名、非常名』
九字、真言、様々な流派の型、形。
全てがここに通じます。
雑念があれば雲散霧消します。
真を掴む(神を守る)1つの神器はここにあります。
呪文は喜びの言葉を入れれば祝辞となります。
心からそれを願えば叶いますが、それにはその心が自我を超越した結果の無我とならなければ、ただの絵に描いた餅。
ただの器。
使えれば祝は喜びとして巡り、
呪いは害として巡ります。