衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(24)-5

【直訳】

まさに叛(そむ)かんとする者は、その辞慙(は)ず。心中疑う者は、その辞枝(わか)る。吉人の辞は寡(すくな)く、躁(そう)人の辞は多し。善を誣(し)うるの人は、その辞游(ゆう)し、その守を失う者は、その辞屈す。

 

 

【原文】

將叛者其辭慙。中心疑者其辭枝。吉人之辭寡。躁人之辭多。誣善之人其辭游。失其守者其辭屈。

 

【私的解釈】
 今にも背こうとしそうな者は易の辞を恥じる。心中を疑う者は易の辞は分れる。りっぱな人の辞は少なく、騒がしい人の辞は多い。善を詭る人は、その辞はゆらゆらと動き、その守りを失う者は、その辞は屈する。

 

 心の誠に関しての言葉で締められています。

 

 易に書かれている言葉に対して批判をすると言う事は、易の理自体が分かっておらず、自分がどこからどの大きさで見ているかも分かっていない人。

 

 自分の心に誠がない人は、易の言葉自体を理解できていない。

 

 本当に分かっている人は、伝える相手の思考や実践を邪魔しないように、流れ自体を無理やり変えないように、発する言葉自体は少ないものなので、あれこれ多くの言葉を労する人には誠の心は少なくなる(陰陽)。

 

 良い事をしていると誤認している、或いは良い事の裏に邪な考えを持っている人の言葉はブレが多く、誠の心が少なくなった時点で言葉が空虚に空回りする。