衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(21)-1

【直訳】

易これ書たるや、始めを原(たず)ね終りを要(もと)め、もって質となすなり。六爻相い雑(まじ)るは、ただその時の物なり。

 

【原文】

易之爲書也。原始要終。以爲質也。六爻相雜。唯其時物也。

 

 

【私的解釈】
 易の書は、『始め、出発点、大元、原因』が何かを考えた上で、その最終的な『終わり、到達点、精華、結果』をイメージして行動し、その行動の結果をまた鑑みて詳細に突き詰めていくものである。六爻が互いに入りまじるのは、ただ今その時々の事柄を現しているだけなのである。

 

 易の書は道(太極)を易の書なりに設定しているので、これを足がかりとしてその人なりに太極を設定し、精錬していく事がその人、その技、その道の質の良し悪しとなる。

 

 爻辞に示される6つの爻は、その太極が今どこにいて、どこに向かっているかを示しているだけなので、ここに拘泥しすぎないようにすべきである。

 

 ピタリと当たると凄いと思いがちですが、それは判断した人の修練度合い(結果)を見ているだけなので、そこから自分が何をしていくかの方が大切です。

 

 技は極めれば精巧になります。技を極めたいのはそれを用いる人の自尊心。

 

 その自尊心を最大限に活かせば最終的にはどこへ行くのか、それがまた形を変えて自分や他の人へ影響します。

 

 詳しく書かないのは、それぞれで考えて色々な花を咲かせて欲しいという

 古人の夢、願いだと感じています。