衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(18)-2

【直訳】

 それ易は、往(おう)を彰(あき)らかにして来(らい)を察し、微(び)を顕(けん)にして幽(ゆう)を闡(ひら)き、開きて名に当て、物を弁(わきま)え言を正しくし、辞を断ずれば備わる。その名を称するや小にして、その類を取るや大なり。その旨遠く、その辞文(かざ)る。その言曲(つぶさ)にして中(あた)り、その事肆(つらな)りて隠(かく)る。貳(じ)に因りて民の行を済(すく)い、もって失得の報を明らかにす。

 

【原文】

 夫易。彰往而察來。而微顯闡幽。開而當名。辨物正言。斷辭則備矣。其稱名也小。其取類也大。其旨遠。其辭文。其言曲而中。其事肆而隱。因貳以濟民行。以明失得之報。

 

【私的解釈】
 そもそも易とは、過去を明らかにして未来を察し、わずかな兆しを明らかにしてかすかでよく見えないことをあらわし、これを広げて名を付ける事で、物を分類して言葉で明確に区別し、卦爻辞を使って定めればその役割を全うできるものである。その名称1つ1つは小さいけれど、その区分けにする意義は大きい。その指し示した内容や事物は奥深く、その辞は事物を模様のように描く。その言葉はこまごまとこまかく複雑であるが、その事柄は連なって裏に隠れているものがある。二つの事象(吉と凶、悔と吝)によって人の行動を助け、ここから失うことと得ることの兆しを明らかにしているのである。

 

自分が何を中心に見るのか、何を中核として生きるのか。そしてそれを手放せるか。

 

つまり、太極を据えるからこそ無極が分かり、太極を分けるからこそ、損益が明確になります。