衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

喜び

喜びと我欲は表裏一体です。


我欲であっても、周囲と調和していれば、喜びと同じであり、自分の見えない枠を自他共に成長させてくれるエネルギーになります。


反対に私利私欲がなくても、周囲と調和していなければ、その自覚しない不安は怒りやストレスとなって悪循環を起こしてしまいます。


この点について黄帝内経には「その心を心地良くするためばかり努力して、性命そのものを楽しみ、楽にする事を軽んじている」と言っています。(私の解釈では)


つまり、我欲をかきすぎると、今がつまらなくなり、延々と追い求め、最後には心も体も枯れ果てるのに、性命の終息を穏やかにできませんよ。それよりも、今いる環境に満足し、先ずは感謝して、それでもまだ余力が旺盛であれば、それは魂そのものの喜びになります。と言っている気がしてます。


かく言う私自身がこれを全うしようとして、老子が道徳経を書く事になった経緯のように、静かに隠遁しようとしていました。


振り返ると、常に変化するはずの易の道理から外れようとしていたのではないかとすら思います。


心は常に楽しい事や、やり甲斐を求め、時に過剰となれば思考して(脾)振り返ったり、心が弱ると心配から恐れ(腎)へと変化しますが、それも又楽しみながら生きていくのが、易に則った人生かなと思ってます。


心は君主として、鎮座するものですが、いつも動いているからこそ、安らかにする事が大切だと感じ、動いていない人は積極的に動かさなければ動かなくなってしまうのでしょう。


ここでもやはりバランスが大切ですね。