衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

徳の教え(51)道徳経下篇・徳経(14)

養徳(ようとく)第五十一と言う副題がついています。 玄徳、見えない徳を養う論理 道はあらゆるものを生み、徳はあらゆるものを養い、物はそれによって形づくられ、形はそれぞれに勢いがある為、気の様相、道の状況、徳の性質を現している。 このような理由…

徳の教え(50)道徳経下篇・徳経(13)

貴生(きしょう)第五十と言う副題がついています。 人は生まれた限り必ず死にます。全ては相対ですが、死は絶対。 この単純明快な論理を視ないようにしがちなのが人間です。 正常性バイアスとでも言いましょうか 30%は長生きし、30%は早死にする。 周から春…

徳の教え(49)道徳経下篇・徳経(12)

任徳(にんとく)第四十九という副題がついています。 思考が熟成し、行動と一致している人は固執した考えに囚われる事がありません。 他の人の意思も自分の意志として受け止めます。 他の人が良いと言うものは良いと思いますが、悪いと言うものも良いと言い…

徳の教え(48)道徳経下篇・徳経(11)

忘知(ぼうち)第四十八 と言う副題がついています。 知識というものは、入れれば入れる程蓄積するが、 道は進めば進む程、あらゆるものを捨てていく事になる。 捨てていき、減った先に無為がある。 無為ができないことはない。 世界は常に集団的無意識の流…

徳の教え(47)道徳経下篇・徳経(10)

鑒遠(かんおん)第四十七 と言う副題がついています。 遠くの事を識別するとでも訳しまょうか。 霊枢本神篇(鍼のお経の中の一つの篇)には、遠くの事に想いを馳せる事を智と言うというような言葉がありました。 物理的、空間的に遠い場合もあれば、時間的…

徳の教え(46)道徳経下篇・徳経(9)

儉欲(けんよく)第四十六 と言う副題がついています。 欲を制御できるのが、人として熟成した証の一つ。 欲が悪いのではなく、強欲が災いを生みやすく、戦い・争いを生みます。 口喧嘩、商売での競争、人を騙す等もこれに該当し、少しの強欲が徐々に膨れ上…

徳の教え(45)道徳経下篇・徳経(8)

洪徳(こうとく)第四十五と言う副題がついています。 徳による循環は一見何もしていないように見えたり、世間の人より劣って見えますが、実際は逆。世間が慌て、目先に走って、常に利を得ようとしているからそう見えるだけ。 大成しているものは欠けている…

徳の教え(44)道徳経下篇・徳経(7)

立戒(りっかい)第四十四 と言う副題がついています。 名声と命はどちらが大切ですか 身体とお金ではどちらを重視しますか 得る事となくすことどちらに弊害がありますか このように比較すると、初めて自身の立ち位置がわかります。 名声やお金は度を過ぎる…

徳の教え(43)道徳経下篇・徳経(6)

徧用(へんよう)第四十三と言う副題がついています。 脱力、脱心し、天地(重力)に従う柔軟性こそが、目に見える強さをもコントロールできる唯一方法。 無になれば、どこにでも自由に入れるから。 ここからも無為の有益な点が伺える。 これは、何事にも通…

徳の教え(42)道徳経下篇・徳経(5)

道化(どうか)第四十二と言う副題がついています。 道の変化と言うこと。 見えない本質的なものの流れを時系列で重ねると道になり、道は円になって循環し、その円が幾重にも連なって繋がると螺旋になります。 循環は円であり、一つの太極です。 道は太極と…

徳の教え(41)道徳経下篇・徳経(4)

同異(どうい)第四十一と言う副題がついています。 道と言う本質的な法則性は、名前の付けようがない為、道と呼んでいますが、人によって様々な方法があり、本質が同じであれば方法は違っても良いもの。 道の本質を理解している人は、真摯にまた着々と調和…

徳の教え(40)道徳経下篇・徳経(3)

去用(きょよう)第四十と言う副題がついています。 循環と言う法則性は全てに通じています。 循環する動きは、元に戻ろうと言う動きと感応し合いながら巡っています。 震動、波動の原理です。 そして、震動、波動が起こるのは、常に変化していると言う事で…

徳の教え(39)道徳経下篇・徳経(2)

法本(ほうほん)第三十九と言う副題がついています。 本質に則ると言う事でしょうか。 昔はそれぞれ統一されるものがあった。 天は清らかさで一面を覆い、 地は土台としての安定と言う概念が基本となり、 神は霊妙さの象徴であり、 谷は凹んでいるからこそ…

徳の教え(38)道徳経下篇・徳経(1)

論徳(徳について論ず)第三十八 と言う副題がついており、道の教えから、徳の教えへと変わっています。 本当の徳とは、徳と言う事自体意識しない事。 徳を意識して何かをするのは徳ではなく、強欲。 本当の仁とは、目の前の人や出来事に素直に心を動かされ…

道の教え(37)

爲政(いせい)第三十七と言う副題がついています。 道徳経の前半となる道の経、道の教えの最後の章となります。 道はいつも無為だが、無為は何もしない事ではありません。 自然にありのままの循環をしていれば、うまく巡る事を指しています。 上にいる人、…

道の教え(36)

微明(びめい)第三十六 と言う副題がついています。 普通に考えていると思いもつかない事でも、時間をかけて深掘りしていくと、妙案が生まれます。一見反対の事が繋がってくると誰も信じないかも知れませんが、そこに妙があります。 鳳凰堂がなぜ、理解され…

道の教え(35)

仁徳(にんとく)第三十五と言う副題がついています。 道は目に見えず、耳に聞こえず、自身の感性と思考を醸成しない限りは認識できないもの。 普通は楽しい音楽、美味しい料理に気を取られ、道への興味すら沸きません。 しかし、一旦自身の人生、世の中の動…

道の教え(34)

任成(にんせい)第三十四と言う副題がついています。 全ての物事は道から派生しています。 あたかも水が道路から流れ、溢れた跡が道となるように。 しかも、道はそれを当然の自然の流れ、恵としているので、自ら誇る事はなく、支配しようともしません。 ま…

道の教え(33)

辯徳(べんとく)第三十三 と言う副題がついています。 徳とは何かを弁える。 聖徳(徳の大切さ)を語った後に弁徳を伝えています。 知足(足るを知る)等もこの章から来てます。 自分以外の人を理解している人は智があり、 自分を理解している人は聡明であ…

道の教え(32)

聖徳(しょうとく)第三十二と言う副題がついています。 道は、一人の人にとっては成長の型の一つであり、幾重にも連なる型を俯瞰して観たものを道と呼んでいるだけである。 つまり、道には決まった形も型もなく、それぞれの生き物で、それぞれの形の中で息…

道の教え(31)

偃武(えんぶ)第三十一 と言う副題がついています。 武力、暴力を使う事の戒めですが、単に肉体的な武力だけでなく、言葉や態度も武力になり得ます。 左と右は当時の使い方による解説で、東洋医学では、左は陽、右は陰。左をメインに使い、右は補助が必要な…

道の教え(30)

儉武(けんぶ)第三十と言う副題がついています。 武力は倹約すべしとでもいいましょうか。 武力は個人、集団の太極(自我、正義)。 太極は人が認識するためにはとても大切なものではあるが、太極が肥大化して他の太極に何かを強いれば、それは戦争、闘いと…

道の教え(29)

無爲(むい)第二十九と言う副題がついています。 何かを認識不足するには、有為と言う考えが必要だが、本質は無為。 太極から始めて、無極に帰る。 意識して、意識して、無意識下に置き、習慣化する。 無為自然と言われるようになった篇でもあります。 この…

道の教え(28)

反朴(はんばく)第二十八と言う副題がついています。 陰陽どちらも兼ね備える事の大切さを説いています。 男性性が強く、腕力に長けていても、女性性の象徴である優しさや包容力を維持していれば、あらゆる人から尊敬される。 あらゆる人から尊敬されれば、…

道の教え(27)

巧用(こうよう)第二十七と言う副題がついています。 巧く用いる事ですが、さて老子はどうやったら巧く用いたと言っているのでしょう。 巧く車を走らせると轍の痕がつかない。 巧く説明すると瑕疵(かし)がないので反論や質問もない。 計算が巧い人は算盤…

道の教え(26)

重徳(じゅうとく)第二十六と言う副題がついています。 重いものは下にあってより軽いものを支える基礎とする。 静寂さが喧騒を制御する(沈思黙考できる人が、動揺する人を導く)。 以上の事から、物事を理解している人は戦いに挑みに行く際には、食糧(エ…

道の教え(25)

象元(しょうげん)第二十五 と言う副題がついています。 鳳凰堂流では、感性の源と言う風に考えています。 天地が出来る前に混然としたものがあった。 それはそれぞれ独立して、ただグルグルと回り循環していた。 これが天から降りて地の母となったのである…

道の教え(24)

苦恩(くおん)第二十四と言う副題がついています。 道とは何か、徳とは何かを知っていれば恩に苦しむ事や嫌がることはありません。 懸情流水、受恩刻石(懸けた情は水に流し、受けた恩は石に刻む)のが自然であり、循環し、小賢しいことを画策する必要がな…

道の教え(23)

虚無(きょむ、こむ)第二十三と言う副題がついています。 呼吸は吐くばかりでなく、必ず吸う、間(ま)があります。 風も終始吹くわけではなく、朝は止むことが多く、にわか雨も一時的なもの。 これは、天候、自然と言う天の計らいであって、昔の言い方をす…

道の教え(22)

益謙(えきけん)第二十二と言う副題がついています。 謙虚さの益とでも解釈しましょうか。 先日身を以てやり過ぎを体感しました。 選択肢が多いと迷い、一つだけ選択すると傲慢さや盲信に繋がります。 俯瞰して観る事と、今はこの道を突き詰めると言う視点…