衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(22)

【直訳】

易の書たるや、広大にして悉(ことごと)く備わる。天道あり、人道あり、地道あり。三才を兼ねてこれを両(ふた)つにす。故に六なり。六とは它(た)にあらず。三才の道なり。道に変動あり、故に爻と曰う。爻に等あり、故に物と曰う。物相い雑(まじ)る、故に文(あや)と曰う。文当らず、故に吉凶生ず。

 

【原文】

易之爲書也。廣大悉備。有天道焉。有人道焉。有地道焉。兼三材而兩之。故六。六者非它也。三材之道也。道有變動。故曰爻。爻有等。故曰物。物相雜。故曰文。文不當。故吉凶生焉。

 

【私的解釈】
 易の書は、広い分野にまで及び細部にまで渡っているので全てが備わっていると言える。天の道も人の道もここに全てがあり、地の道もここに全てがある。三才(天と地と人)を二つ重ね合わせて対をなすものにすることで、六爻になっているのである。六とは他でもない、三才の道である。道には変動があるので爻を作っている。爻には位置という時間の流れによる変化があるのでこれを今起きている現象としている。現象同士が互いにまじり入るので、それを文(模様)と言って言葉にしている。文が当てはまらない場合に、その人の心は吉凶を生じる。

 

 易は全ての法則性を伝える為にあらゆる物事、現象を簡単に纏めている。簡単に纏めているので、もう一度自分の目線で広げて高めていく必要がある。

 

 それができると、天も人も地も同じであることが分かり、それぞれの道も分かる。

更に細かく時間の流れを示す為に爻という概念がある。この爻という概念は、他者の爻や天地の爻とも混じり合うので、それを具体的に言葉にすることで、その人の今の状態、向かっていく方向などを示す事はできるが、その爻をどう考え、どう感じるかはその人次第であり、その人が良いと思えば吉、悪いと思えば凶というだけのこととなる。

 

 素問・上古天真論篇第一には、

 

 男性は八の倍数で身体の変化の目安とし、女性は七の倍数で身体の変化の目安とするという話がありますが、この話の隠れた部分となります。

 

 三才が重なって六爻となり、この六爻を地とし、天は1つなので九とすると、

大きな目線では、六爻(地)、七・八(人)、九(天)となります。

 

 古代東洋では九が最高の数字であるとされた数の理論に従っているという事です。