言葉を繋ぐ(17)-5
【直訳】
易に曰く、公もって隼(はやぶさ)を高墉(こうよう)の上に射る、これを獲て利ろしからざるなし、と。子曰く、隼とは禽(えもの)なり。弓矢とは器なり。これを射るは人なり。君子は器を身に蔵(かく)し、時を待ちて動く。何の不利かこれあらん。動きて括(むす)ぼれず、ここをもって出でて獲ることあり。器を成して動く者を語(い)うなり。
【原文】
易曰。公用射隼于高墉之上。獲之无不利。子曰。隼者禽也。弓矢者器也。射之者人也。君子藏器於身。待時而動。何不利之有。動而不括。是以出而有獲。語成器而動者也。
【私的解釈】
易は次のように伝えています。王公や君子が高い壁にいる隼を射て獲得えても問題はない、と。
孔子はそれを次のように解釈しています。隼は獲物であり、弓矢は器(道具)であり、これを射るのは人である。君子は身体に器(才能を)隠して時を待って動くのである。何の不利があるだろうか。動いても縛られてないからこそ出かけて獲ることができる。器(才能)を使って動く者のことを語っているのである。
易の伝えた事を孔子が解釈して、獲物(地の恵み)を弓矢(天人地相交した結果できた天の恵み)を人の努力で獲得するのは、天地の理に叶っていると言っています。
これは雷水解 の上六と同じ事が書かれています。
つまり、解消、解決を暗示しています。
易経と孔子の言葉から考えると、天地の理に叶う(天人地の不交が解消する)為には、身体と智恵という才能が必要ですが、更にそれを発揮すべきタイミングがあり、この3つが合致すればその時の天地の相交は叶えられているという事だと考えています。
今持てるものを充分に発揮するタイミングを測る。
場所の準備ができているか。(地)
自分の身体と心の準備ができているか。(人)
今そのタイミングなのか。(天)
全てが揃っていれば、あらゆる事がうまく行くと言っているのではないかと考えています。