衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(17)-3

【直訳】

尺蠖(せきくわ)の屈するは、もって信(の)びんことを求むるなり。竜蛇(りょうだ)の蟄(かく)るるは、もって身を存するなり。義を精(くわ)しくし神に入るは、もって用を致すなり。用を利し身を安んずるは、もって徳を崇(たか)くするなり。これを過ぐる以往(いおう)は、いまだこれを知ることあらず。神を窮め化を知るは、徳の盛(さかり)なり。

 

【原文】

尺蠖之屈。以求信也。龍蛇之蟄。以存身也。精義入神。以致用也。利用安身。以崇德也。過此以往。未之或知也。窮神知化。德之盛也。

 

【私的解釈】
 尺取虫が屈するのは、次に伸びるためである。竜や蛇が縮こまるのは、身体を真っ直ぐに保って進むためである。道理をしっかり守る事で神秘の領域に入るのは、その神秘の領域を自分で体現する為である。実践に役立てて心身を安定させるのは徳を高めるためである。この後は、いまだに知ることができない。神秘を極めて変化を知るのは、徳が盛んでなければできないのである。

 

身体的な屈曲伸展、膨脹収縮から神秘の領域の拡大縮小、その領域に入る為の自分の徳の盛衰について語っています。

 

物理的な現象と見えないものの変化はリンクしています。

 

例えば、怪我をしたとして、「石があったからつまづいて怪我をした。」というのは物理的な現象に即した解釈ですが、本人が注意深く、ゆっくりと動作を行っていればつまづくことはなかったかもしれません。そう考えると、なぜ慌てていたのか、なぜ注意散漫だったのか、見えない心の加減も必ず作用している事が理解できます。

 

そして、それは昼夜にも寒暑にも関わっています。

 

全てが繋がっている事が理解でき、体感できるようになる為には、先ず自身の自我をどうコントロールし、周囲との調和を自然と測れるようになるかではないでしょうか。