言葉を繋ぐ(14)-5
【直訳】
神農氏没して、黄(こう)帝堯(ぎょう)舜(しゅん)氏作(おこ)る。その変を通じ、民をして倦(う)まざらしめ、神にしてこれを化し、民をしてこれを宜しくせしむ。易は窮まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し。ここをもって天よりこれを祐(たす)け、吉にして利ろしからざるなきなり。黄帝堯舜衣裳を垂れて天下治まるは、蓋しこれを乾坤に取る。
【原文】
神農氏沒。黄帝堯舜氏作。通其變。使民不倦。神而化之。使民宜之。易窮則變。變則通。通則久。是以自天祐之。吉无不利。黄帝堯舜垂衣裳而天下治。蓋取諸乾坤。
【私的翻訳】
神農氏がなくなって、黄帝・堯・舜氏がおこる。その様な政権の変化があっても、人々が忘れることのないように、神のように千変万化させて、流行として人々が受け入れやすいようにした。これは易は窮まれば変わり、変われば通じて、通ずれば久しいという道理に相通じる。この点から、天と言う目に見えないが人々に伝わっているはずの道を法則性として普及させる事は、良いことはあっても悪いことはない。
このようにした事で黄帝・堯・舜の各氏は、衣裳を垂らした状態で室内にゆったりとしていても天下が治まっていおり、このような状態を乾坤として集約している。
【解釈】
伏羲氏→神農氏→黄帝→堯→舜→(禹)と言う流れが、周易・易経で書かれている三皇五帝という枠組みとなっています。彭祖もこの時代の人と言われています。
古代の伝説として、語り継がれ、史実としてどこまで実証されているかは調べていませんが、夏王朝は徐々に明らかになっていると聞いた事があります。
そして夏王朝の次が、商売という言葉の語源となったと言われる商王朝、後に言う殷王朝です。
足太陰脾経の商丘と言う経穴(ツボ)は商王朝の都である商丘から来たと言われています。(現在の河南省に未だに存在します。周りに丸く堀があり、中に四角い城がある事から昔の貨幣は円形に四角い穴が空いていたとも言われています。)
話を戻して、この「易は極まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久しくす」という言葉は、易の1つの陰陽太極(法則性)をあらわしており、この変化の法則性を極めれば、必ずあらゆるものに通じ、あらゆるものに通じれば、永久に使う事ができると言う事を言っています。
いわゆる経典の経というものは、そもそも時代がいくら変わっても、ずっと使い続けられる事を書いている証として経という言葉を使っている事からも、先天八卦ができた後にこの法則性(太極)という概念ができ、その太極という概念ができる前提条件として無極という概念がある事を乾坤という2つの言葉であらわしています。
この乾坤という言葉は易の門戸とも呼ばれますが、無極と太極或いは無極から太極という考え方をどう捉えていくかで様々なレベルの解釈ができます。
ここでは単純に乾為天と坤為地、経と緯、経と絡という風に太極を定める直前の指標としての位置づけで語られていると考えると第1段階は理解しやすいと思います。