衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

衆妙の門と言う題名

衆とはあらゆるもの、あらゆる人と言う意味。

 

妙とは絶妙、奥妙等と使われるように、人外の事象、神。

 

老子は道経の第一に、道(太極)を全ての法則性と定義しただけでは道というものの存在価値は無に等しい。それはただ、区別する為に名前をつけただけで、名前は使う人により、場所により時により変化するでしょう?それと同じ事です。

 

道を理解しても、体現できなければ意味はなく、体現できて自分なりの道を作ってこそ、道の大切さが分かり、道を幅広く、遠くまで延びていけるように(永遠に続けるように)できます。

 

その為に、ここに道とは何か?

 

奥妙へ続くドアまでの案内板を書いておきます。(以上、永松の私的見解による超意訳)

 

という事から題名をつけました。