衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

3年修行が遅れても良い師を探せ

    奥深い技術を学ぶ際には、3年修行が遅れたとしても、良い師を探せ。

 

   中国武術を学びたいと思っていた小学生時代に知り得た情報ですが、色々な事を知った今、なかなかの金言だったと感じます。

 

  当時の田舎町に道場や教室があるわけもなく、故松田隆智氏の本、月刊「武術」くらいのものでした。

 

  その書籍を頼りに色々な套路、型を覚え、技を練りましたが、結局実戦で使う事は稀。

 

  高校時代の空手の大会で、4位となった時の上位3人は身長180前後。2人と対戦したものの、一発の重みが明らかに違う。

  力と速度がなければ、更に上に行くのは難しい。しかし、力は体格による重さと高さが大きく関係する為、背が高く重い方が圧倒的に楽で、強いのがこの競技...

 

あぁ、これは競技なんだと感じた瞬間でした。

そして、歳をとっても互角に戦い、又若い人を相手にしようと考えると、この競技と方法では僕の肉体(小学生で身長の伸びが止まった163)にはハードルが高いと直感しました。

 

 それからは、また本物の武道や中国武術探しながらも、半ばあきらめの境地。

 

ある時に、幼なじみから大東流合気柔術六方会の宗師、岡本正剛先生のビデオを見せられ、「これはない、嘘やろ〜」と思いながらも大きな期待を持って練習会に参加しました。

 

 ここからは大東流 の項に詳しく書いていますが、この技を学ぶ事で「気」を初めて実感できたのです。日本武道の中でも「気」に特化した術、更にその中でも1番マニアックな岡本先生との出会いが、東洋医学の中でも生きています。

 

 これを幼い頃に学んでいたら、もっと修練できていたかもしれませんが、

 

 恐らく僕が理解できる身体と心を持った時に初めて出会えるように運命が定まっていたようにも感じます。

 

 そして、ここから太極拳等の中国の内家拳と言われる武術が内包する原理原則についても考察することができるようになりました。

 

 技術も大切ですが、感覚も大切、そしてイメージも大切。

 

 これら三つが総合して初めて、真の奥妙な技になり、身体になり、心が宿ると思っています。



    つまり、まだまだですわw