2020年 庚子年 (2)
大きく見ると、
少陰君火が上にあり、
陽明燥金が下にあります。
卦では火沢睽。
気候は経常的に気温は高いけれども地面は乾燥している(湿気が足りない)。
人体では上、外に熱を持ちやすく、鬱憤が溜まりやすいが、それを出す為の燃料がない。
細かく観ると、自制心が強く働く。
但し、その人の生まれ持った生きやすい方向、
現在の環境、人とのご縁によっては様々な方向に分かれますので、あくまでも基準です。
2020年 庚子年(1)
1日(昼夜、地球の自転)のサイクル
1週間(日月五星)のサイクル
1ヶ月(月の満ち欠け)のサイクル
1年(四季、地球の公転)のサイクル
60年(上記サイクルの全てのパターン)が
現れるサイクル
見えない循環が繋がりながら時間は流れています。(というバイアスをかけてみています)
2020年は庚子年。
上 少陰君火
中 金太過
下 陽明燥金
と言う三才が基準となります。
この状況は、上は陽、下は金で揃っているので
同天符とも呼ばれます。
金のエネルギーが強く出るのが特徴。
キーワードは、粛殺、清粛、粛降。
周易で俯瞰してみると、ここに昇発、蓄積も
加わります。
つまり、自粛、自制する必要が環境、状況的に現れやすく、それに対して我慢するのか、反発するのか自分の中で葛藤が生じます。
眉間の皺
観相学では、ここを印堂と呼びます。
そして小人形法では肺に当たる部分。
肺は蓋であり、器の大きさだけ必要なので、眉間の広さが心の広さだと
私の解釈で良く言っています。
ここに皺が寄るのは、
1、苦労、苦節を感じてきた過去
2、外からの圧力に粛降を強めている現在
3、自我が悶えている未来
簡単に見えない天人地に分類するとこうなります(私的な今の感性では)
通常は(黄色人種は黄色ベースの)白、ピンク
心身が病むとその状況によって変化
そして中央の眉間は気(現在、未来)をあらわし、外側の眉は形をあらわしています(過去)。
眉だけで考察する場合はまた反射区が変わりますw
毎日、恬淡虚無を実践できているとこの皺はなくなります。
バイアスと反射区、東洋医学
バイアスと言う言葉を易を用いて解釈すると、
ある一定の角度、方向から観る事(乾)。
反射区と言う概念を易を用いて解釈すると、
ある範囲内に太極を設定して(極)、
それを普遍的なものと仮定して(通・坤)、
普及させ、長く使えるようにしようとするもの(似久)。
この乾坤が合致するときは、
極則変、変則通、通則久となり故がある。
合致しないときは故なし。
このバイアスと反射区が合致しているかどうかを測定するものと基準をどうするか。
天(気)は、変化が激しく
地(形)は、変化に乏しい
人を観るのは、血に形気の動きを集約して観るのが、1番象・数・理に適うのではないか?
と、言うのが東洋医学の診察の根源。
徳の陰陽(7)
効能
こう書くと、私的には一気に胡散臭くなります。
しかし、こう書く事で何かしらを感じる人が増えるのであれば、それも陰陽平衡なので、敢えて太極を小さくして書きます。
威と仁の効能
威は太極を非常に小さくする事で短期的(人によっては長期的)な目標の実現、指導、志の強化が得られます。
仁は小さな太極を繋げたり、様々な太極を認め、含めていく為、短期的な小さな太極はぼやけたり存在しないかのように感じますが、志自身だけを大きくします。
法は、どのような人(集)にも適応すべく考えられますが、個を判断するのは人、物、状況により、他者が判断します。
ここには必ず思想が入ります。
つまり、法と思想は陰陽の両側面。
言い替えると、法則性の裏には個の思想が入ります。
ここを履き違えると、法則性はただの形になり、そこに命(変化)が吹き込まれず、形によった老衰死(形骸化)しか残りません。
極則変、変則通、通則久。
これが周易の根本法則であり、あらゆる思想の土台になるはず。
そして、そこに必要なものが仁と威。
そう考えています。
徳の陰陽(6)
陽徳は、例えば誰かにする施し、教える事や導く事。
陰徳は、例えば公共の場所を人知れず清掃することや神社仏閣等へ行ったり、瞑想したり、先祖供養等。
誰でも普段行う、行える事です。
自分の住んでいるところの清掃は、自分自身の心の浄化(欲、威)がベースとなっています。
それはそれで良い面がありますが、様々な人やものと触れ合う場所の清掃と言うところにポイントがあります。
神社仏閣でも、流行で行ってみるのと、淡々と自分の今までの感謝や報告を行うのでは陰陽が異なります。
流行やパワースポットとして行くのは陽
報告や感謝を伝えるのは陰
陽から始めたとしても陰に繋がれば良く
そこに善悪はありません。