衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(20)-3

【直訳】

初(はじ)めその辞に率(したが)って、その方(みち)を揆(はか)れば、既にして典常あり。苟(いやしく)もそれ人にあらざれば、道、虚しく行なわれず。

 

【原文】

初率其辭。而揆其方。既有典常。苟非其人。道不虚行。

 

【私的解釈】
 初めは易の卦辞、爻辞に従って易の行くさきを考えれば、そこには人の常を守るべき道がある。もしも徳のある人でなければ、易の道はうわべだけで実際には行われていないし、実益もない。

 

 卦辞は大きな枠組みで意味を教えてくれて、

 

 爻辞は今この時の状況を細かく教えてくれます。

 

 この2つを照らし合わせる事で1つの道となっています。

 

 これを充分に深めて行き、ずっと陰徳を積んでいけば、

 

 実際にうまく運用できるでしょう。

 

 そうある為に、日々誠実に生きるのみです。

言葉を繋ぐ(20)-2

【直訳】

その出入度をもってし、外内懼れを知らしむ。また憂患と故(こと)とを明かにす。師保あることなけれども、父母に臨まるるがごとし。

 

【原文】

其出入以度。外内使知懼。又明於憂患與故。无有師保。如臨父母。

 

【私的解釈】
 出入進退には節度を持つこと。外に出る場合も内に留まる場合も警戒すべき事柄を知らせている。だからこそ、心配事や原因があればしっかりと究明する。そうすれば道を教え導く師も必要ない、父母に見守られているようなものだからである。

 

 道(太極)とは、無形の法則性である事は述べてきました。

 

 その法則性を考えてものにする為には、あらゆるもの、事の出入進退の兆しをどう考えていくかであり、そこから原因にまで掘り下げていくことができれば本人の感覚と考察力が1番の道筋になる。

 

 師には師の道(太極)があり、法則性を導く1つの道を照らすものだという認識がなければ、自分の本来の特性は活かせずにただ真似ているだけであるので、父母が有形無形に見守ってくれているように、自分の感性に合う事をやりながら深めて行くことが大切だと言ってくれているように考えています。

 

   また、身体は定期的に外のものを吸収し(入)し、発散(出)していますが、その時の外的環境(周囲の人、社会、気候)の影響や内的環境(感情、心理、内臓)の状態に目を向ける事で、

 

少しずつ自覚していく事が真を掴むのに1番大切で、

 

師(気づかせてくれる人)は天運によって縁があった事で、今サインを送ってくれているので妄信してしまうと間違える。

 

  妄信せずに、その人なりにまたアドバイスをくれて、見守ってくれていると解釈して自分なりに考えていく事が大切ですよ。と、言ってくれているように感じました。

 

言葉を繋ぐ(20)-1

【直訳】

易の書たるや遠くすべからず。道たるやしばしば遷る。変動して居(とどま)らず、六虚(りくきょ)に周流(しゅうりゅう)す。上下すること常なく、剛柔相い易(かわ)る。典要となすべからず、ただ変の適(ゆ)く所のままなり。

 

【原文】

易之爲書也不可遠。爲道也屢遷。變動不居。周流六虚。上下无常。剛柔相易。不可爲典要。唯變所適。

 

 

【私的解釈】
 易のための書は、遠いものとしてはならない。易の道はしばしば変化するからである。変動してとどまらず、上下前後左右の六方に広く行き渡る。縦横無尽に位置を変え、剛柔も互いに変わる。定まった基準の要としてはならない。ただ変化のゆくところのままである。

 

 専門用語を覚えてしまうと専門用語を使った方が表現しやすく、細かく表現できます。その為、ついつい専門用語を使ってしまいますが、そうなると専門用語を知っている人でなければ通じません。「変じれば通ず」自分の身に置き換えてみる、相手の身に置き換えてみて簡単に表現する必要があります。しかし、簡単に表現すると相手の認識のレベルによって多くの齟齬が起こります。

 

 いつもこの境界線で悩んでいます。と言う事はそしてそこで悩むと言う事は、まだまだ分かっていないのだな〜と次への活力になっています。

言葉を繋ぐ(19)-3

【直訳】

履はもって行ないを和す。謙はもって礼を制す。復はもってみずから知る。恒はもって徳を一にす。損はもって害に遠ざかる。益はもって利を興す。困はもって怨(うら)みを寡(すくな)くす。井はもって義を弁ず。巽はもって権を行なう。

 

【原文】

履以和行。謙以制禮。復以自知。恆以一德。損以遠害。益以興利。困以寡怨。井以辯義。巽以行權。

 

 

【私的解釈】
 天沢履の心を持っていれば行動が和らげられる。地山謙の心を持っていれば礼儀が通じる。地雷復の心を持っていれば自分を省みることができる。雷風恒の心を持っていれば言動、行動による徳が1つの目的に集約される。山沢損の心を持っていれば損なう事から逆に遠ざかる。風雷益の心を持っていれば様々な事が大きな役に立つ。沢水困の心を持っていれば恨まれることが少なくなる。風水井の心を持っていれば道理が明らかになる。巽為風の心を持っていれば臨機応変に対処出来るようになる。

 

 天沢履 f:id:shuji0211:20170511191510j:plain [陽陽陰陽陽陽]は徳の土台となって、調和する事を主眼として、影で積んでいくことでその心が叶い、行動がプラスに働く。

 

 地山謙 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain [陰陰陽陰陰陰]は徳を使える時期を計る為に、謙虚な心を忘れず行動する事で、力を発揮できる時期(天運)が巡ってくるのを待っている。

 

 地雷復 f:id:shuji0211:20170511192229j:plain [陽陰陰陰陰陰]は今までの陰徳の積み重ねから、力を発揮できる時期に来ているが、それでもまだ謙虚な気持ちを持ち少しずつ動かしている。

 

 雷風恒 f:id:shuji0211:20170511192739j:plain [陰陽陽陽陰陰]は力が発揮できているからこそ、目的を再認識して心新たにする。

 

 山沢損 f:id:shuji0211:20170511193653j:plain [陽陽陰陰陰陽]は発揮できている力を更に精錬させるために、自分なりに整理する。

 

 風雷益 f:id:shuji0211:20170511193731j:plain [陽陰陰陰陽陽]は発揮した力があらゆるものに影響することで、山沢損で損なった利益すらも還ってくる。

 

 沢水困 f:id:shuji0211:20170511194222j:plain [陰陽陰陽陽陰]は一人力を発揮する事によって羨まれたり、逆恨みされたりする事をも超越する。

 

 風水井 f:id:shuji0211:20170511205602j:plain [陰陽陰陰陽陽]は上記までの意識と経験が積み重なり、徳、易の道理を習得する。

 

 巽為風 f:id:shuji0211:20170511205511j:plain [陰陽陽陰陽陽]は徳や易の道理として太極ができた上で、自由に行動、言動を行う事ができる。

 

 解釈は粗くなっていますが、(19)は9種の卦を使って、あらゆる事象の構造、

流れ、心持ちに対して書いているように感じるので、徳と易の道理として再解釈してみました。

 

言葉を繋ぐ(19)-2

【直訳】

履は和して至る。謙は尊にして光る。復は小にして物に弁つ。恒は雑にして厭(いと)わず。損は先に難(かた)くして後には易し。益は長裕(ちょうゆう)して設けず。困は窮して通ず。井はその所に居りて遷る。巽は称(はか)りて隠(かく)る。

 

【原文】

履和而至。謙尊而光。復小而辨於物。恆雜而不厭。損先難而後易。益長裕而不設。困窮而通。井居其所而遷。巽稱而隱。

 

【私的解釈】
 天沢履は調和を計ることが主となる。地山謙は尊くして輝く。地雷復は小さくして事物を区別する。雷風恒は入り乱れても苦にしない。山沢損は始めは難しく後はたやすい。風雷益はいつまでも豊かにしてこしらえず。沢水困は極まって通じる、水風井はその場所を動かずに移る。巽為風は測り考えており、外からは見えない。

 

 天沢履 f:id:shuji0211:20170511191510j:plain[陽陽陰陽陽陽]陰気を上に挙げることが先ず第一。

              陽気に囲まれて1つだけ陰気がある。離火の膨脹しきっ

              た状態。つまり、何があっても大人しくする時。

 地山謙 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain[陰陰陰陰陰陽]天沢履の錯卦となっています。自分の能力を分かってい

              るからこそ、控えている時。

 

 地雷復 f:id:shuji0211:20170511192229j:plain[陽陰陰陰陰陰]上記2つが揃えば、スタートの時。

 

 雷風恒 f:id:shuji0211:20170511192739j:plain[陰陽陽陽陰陰]上記3つが揃えば、それを続ける時。

 

 山沢損 f:id:shuji0211:20170511193653j:plain[陽陽陰陰陰陽]次の大きな山を越えるためには、リスクも覚悟をする時。

 

 風雷益 f:id:shuji0211:20170511193731j:plain[陽陰陰陰陽陽]リスクをも超えたからこそ、益を得られる時。

 

 沢水困 f:id:shuji0211:20170511194222j:plain[陰陽陰陽陽陰]慢心が落ちる布石になるのか、良い経験になるのか。

 

 水風井 f:id:shuji0211:20170511194248j:plain[陰陽陽陰陽陰]全てにおいて地道に積み重ね、

 

 巽為風 f:id:shuji0211:20170511205511j:plain[陰陽陽陰陽陽]柔軟に適応することが易の理。

 

という流れで解釈しました。

 

 

言葉を繋ぐ(19)-1

【直訳】

 易の興(おこ)るや、それ中古においてするか。易を作る者は、それ憂患あるか。

 

 この故に、履(り)は徳の基(もと)なり。謙は徳の柄(え)なり。復は徳の本(ほん)なり。恒は徳の固(こ)なり。損は徳の修(しゅう)なり。益は徳の裕(ゆう)なり。困は徳の弁(べん)なり。井は徳の地(ち)なり。巽は徳の制(さだ)なり。

 

 

 

【原文】

 易之興也。其於中古乎。作易者其有憂患乎。

 

 是故。履德之基也。謙德之柄也。復德之本也。恆德之固也。損德之脩也。益德之裕也。困德之辨也。井德之地也。巽德之制也。

 

 

【私的解釈】
 易が盛んになったのは、中古においてであろう。易を作った人は、そもそも憂い悩みがあったのであろう。


 このような理由から、

 

天沢履 f:id:shuji0211:20170511191510j:plain [陽陽陰陽陽陽]は徳の基盤である。

地山謙 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain [陰陰陽陰陰陰]は徳の原動力である。

地雷復 f:id:shuji0211:20170511192229j:plain [陽陰陰陰陰陰]は徳の始めである。

雷風恒 f:id:shuji0211:20170511192739j:plain [陰陽陽陽陰陰]は徳を固める為の恒常性である。

山沢損 f:id:shuji0211:20170511193653j:plain [陽陽陰陰陰陽]は徳の修めるもの(でこぼこをとり去るもの)である。

風雷益 f:id:shuji0211:20170511193731j:plain [陽陰陰陰陽陽]は徳を豊かにするものである。

沢水困 f:id:shuji0211:20170511194222j:plain [陰陽陰陽陽陰]は徳を区別するものである。

水風井 f:id:shuji0211:20170511194248j:plain [陰陽陽陰陽陰]は徳の動かないなものである。

巽為風 f:id:shuji0211:20170511205511j:plain [陰陽陽陰陽陽]は徳の定めである。

 

 易が盛んになった理由の1つとしては、戦国時代という中古の時代の政治情勢の不安定さから来ているのではないかと孔子は考えていたようです。思えば、老子も人の世の余りの欲の深さに、涵谷関を出ようとした事ともリンクします。

 

 道は地であり、徳は天です。自然界や人の目に見えない徳(陰徳)を実際に人の世の人間関係に波及させようとする気持ち、願いが易を盛んにしたと考えると、汚れた世界だからこそ、清いものを求めていたのかも知れません。

 

 上記の卦の中で、天沢履 f:id:shuji0211:20170511191510j:plain [陽陽陰陽陽陽]と地山謙 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain [陰陰陽陰陰陰]は

互いに転化した姿であり、大きな眼で見ると火と水になります。

 

 地雷复 f:id:shuji0211:20170511192229j:plain [陽陰陰陰陰陰]は全ての始まり。

 

 それが、雷風恒 f:id:shuji0211:20170511192739j:plain [陰陽陽陽陰陰]長い間続く為には、

 

 山沢損 f:id:shuji0211:20170511193653j:plain [陽陽陰陰陰陽]懸けた恩は水に流し、受けた恩は石に刻むように、損して得を取る事で、

 

 風雷益 f:id:shuji0211:20170511193731j:plain [陽陰陰陰陽陽]自分に益があるかもしれないけれど、もし自分に還らずとも、自分の大切な人、子、孫、しいては人類に益を及ぼす事になる。

 

 裏返しの行動、言動をすれば沢水困 f:id:shuji0211:20170511194222j:plain [陰陽陰陽陽陰]となるので、

 

 静かにコツコツと自分の本分を守れば水風井 f:id:shuji0211:20170511194248j:plain [陰陽陽陰陽陰]となり、

 

 天から徳が流れるという条理、常に変化するという易の理に叶い、

 

 巽為風 f:id:shuji0211:20170511205511j:plain [陰陽陽陰陽陽]という柔軟で風のような生き方ができ、

 

 天命を終えられると言っているのではないかと感じました。

 

 

 

 

 

言葉を繋ぐ(18)-2

【直訳】

 それ易は、往(おう)を彰(あき)らかにして来(らい)を察し、微(び)を顕(けん)にして幽(ゆう)を闡(ひら)き、開きて名に当て、物を弁(わきま)え言を正しくし、辞を断ずれば備わる。その名を称するや小にして、その類を取るや大なり。その旨遠く、その辞文(かざ)る。その言曲(つぶさ)にして中(あた)り、その事肆(つらな)りて隠(かく)る。貳(じ)に因りて民の行を済(すく)い、もって失得の報を明らかにす。

 

【原文】

 夫易。彰往而察來。而微顯闡幽。開而當名。辨物正言。斷辭則備矣。其稱名也小。其取類也大。其旨遠。其辭文。其言曲而中。其事肆而隱。因貳以濟民行。以明失得之報。

 

【私的解釈】
 そもそも易とは、過去を明らかにして未来を察し、わずかな兆しを明らかにしてかすかでよく見えないことをあらわし、これを広げて名を付ける事で、物を分類して言葉で明確に区別し、卦爻辞を使って定めればその役割を全うできるものである。その名称1つ1つは小さいけれど、その区分けにする意義は大きい。その指し示した内容や事物は奥深く、その辞は事物を模様のように描く。その言葉はこまごまとこまかく複雑であるが、その事柄は連なって裏に隠れているものがある。二つの事象(吉と凶、悔と吝)によって人の行動を助け、ここから失うことと得ることの兆しを明らかにしているのである。

 

自分が何を中心に見るのか、何を中核として生きるのか。そしてそれを手放せるか。

 

つまり、太極を据えるからこそ無極が分かり、太極を分けるからこそ、損益が明確になります。