言葉を繋ぐ(13)-2
慎み深さと未来志向
現在・過去・未来の良し悪しはこの八卦の動きをどう解釈するかにある。
剛柔とはこの解釈の元になる虚実の事を指している。
変化して廃れるか、変化が良い方向へ動くかは現在・過去・未来を通した方向性から分析できる。
吉凶悔吝者。生乎動者也。剛柔者。立本者也。變通者。趣時者也。
物事の良し悪しは、当事者が慎み深さを持ちながら未来志向・プラス志向する事が最良の手段となる。
そう考えると、天地の道(法則性)も、慎み深く未来志向・プラス志向でみるべきである。
良い方向へ行くかそうでないかは、慎重さによって決まる。天地の道は慎重に観察するもので、太陽と月の動きを慎重に明確にした結果あらわれるものである。
つまり、あらゆる気の動きは慎重に感性、行動を重ね合わせる事で一となる。
吉凶者。貞勝者也。天地之道。貞觀者也。日月之道。貞明者也。天下之動。貞夫一者也。
言葉を繋ぐ(13)-1
太極から九宮八卦にまで分ける。
陰陽太極は1を軸と枠組みに置く事で物事を陰陽と言う二つの相対的な物事に分類する。
四象五行は、上下を作る事で、左右の違いまで表現する。
八卦九宮はその隙間を埋める事で、順序という概念が生まれる。その順序の中に、全ての生き物の生長壯老死のイメージがある。
更にこれを重ねることで、その中での事象の変化が表現でき、虛実の動きの常(不易)と変(変易)が理解できるようになる。
これに意味づけをする事で、その中で動くものの過去・現在・未來を類推できるが、それは一つの太極の中での動きである。
集約すると、簡易になるが、八卦を太極として五行に落とし込み、気一元に落とし込まなければ絵に描いた餅と言っていると考えます。
原文
八卦成列。象在其中矣。因而重之、爻在其中矣。剛柔相推。變在其中矣。繋辭焉而命之。動在其中矣。
言葉を繋ぐ(12)
易には天から助けがあると書かれています。
天の助けは時間の流れと共に流れてきます。人の助けを得るには信じる事、誠実さを保つ事が大切です。
信じてから後、考えるのが順当な時間の流れです。
知恵がある人は、そうすることで天からの助けを受けているので、良い事は成功し、悪い結果にはなりません。
孔子は、書物には書き尽くせず、言葉では意を尽くせないと言っています。聖人の意図は深く、あらわれないのです。
聖人はイメージを立てる事で意を尽くし、卦を作ることで情報・状態を尽くしていると孔子は言っています。
繫辞(言葉を繋ぐ)は言葉でそれを表現しています。
この言葉が変わっても、それは見ている角度が違うだけなので、真が変わっていなければ意味は通じ、良い事が起こります。これらの事に集中する事で神が降りて来ます。
乾坤は易の象徴であり、乾坤によって理(ロジック)や象(イメージ)の組み立てができるようになります。易はその軸を作るもので、乾坤がなければ易もありません。
上記の理由から、道とは形而上(形のない感覚や現象など)のものであり、形而下(形となってあらわれている)のものは器と呼んでいます。
形が変化しても道を維持していれば変と呼び、この形から敷衍して考えられる事を通と呼び、これらを使ってあらゆることに応用できることを業と呼んでいます。
聖人は奥深い象(イメージ)の中から、そのイメージに合う形に形容して象と言っています。あらゆるものの動きを観察して共通するものを通としています。
その為、道に沿った行動を礼と呼んでいます。
言葉を繋いで良悪の判断をする事を爻(こう)と呼んでいます。
奥深い理論は卦にあり、それを言葉によって動かし、腑に落ちれば変化します。
その変化を推敲して行動に移せば万事に通じます。
神がこれを明らかにし、それを行うのはその人です。
黙っていてもこれらに則っていれば達成でき、黙っているのは誠実に信を実行しているからであり、そこには徳が流れているのです。
言葉を繋ぐ(11)
孔子は、易とは何か?と尋ねています。
易とは何かを成し遂げる為に必要なものは何か、本質とは何かを考えていく為のものです。
本質的な事を考える際の枠組の始めから終わりを決める事で、何をどのような順序で行って行くことが目的のスムーズな完遂となるかを示してくれています。
このことを粛々と行っている人の事を聖人と呼んでいます。
聖人はあらゆる事柄の情熱、志を理解し、目標達成に必要な道具を順序立てて使うことができ、様々なハードルや岐路で何をすれば良いのかを知っている人です。
占う事(判断する事)の利点は円(天・感性)にあり、神にあります。
卦の利点は四角(地・理論)にあり、意味を理解する事にあります。
六爻(今、この時・機)の意味は易に備わっています。
聖人はこれらの事を含めながら、心を磨き、密かに持っています。
あらゆる物事の良悪は、人に影響し、人からも影響されます。
神はそれを予め啓示して、持ったままにしています。
古来からの叡智は神が武力を持っていても、
武は文字通り戈を止めるだけの為のものとしているようなもので、常識のレベルを遥かに超えた知恵なのです。
このような事から天の道(宇宙の法則性)を明らかにし、人に何か起こった時や何が起こるかの予測として用いているのです。
これが人に使うことのできる神からの贈り物であり、聖人はここから戒めを集めています。
神が徳を示し照らしてくれているのです。
扉を閉める事を坤と呼び、扉を開ける事を乾と呼びます。扉の開閉が変、変化が絶え間ない事を通、見たイメージを象、形を器、制御する事を法、人が感じ、使うことのできる事を神と呼んでいます。
易には太極があり、太極が両儀を生み、両儀が四象を生み、四象が八卦を生み、八卦が良悪を決め、良悪が大きな業わ生みます。
その為、法則性とイメージは天地の範囲を越えず、変化して通じるものは四季の区別と流れから離れず、イメージは太陽と月から派生していったものとなり、崇高さは富貴となります。元々誰もが持っているものを使っているだけの事となります。
器を作って天下の利益とできる人は聖人以外にはいません。
深く隠れたところまで探り、遠い処は深く鈎を差し込んで取り出し、そうやって天地自然の良悪を判断できるのは筮竹だけです。
つまり、天が生んだ神の啓示に聖人は従っているだけで、天地の変化を効果的に使っているだけの事なのです。
天から降りてくるイメージを良悪の判断材料として図象としたのが聖人です。
河から河図が現れ、洛から書が現れ、聖人はそれに従っているだけです。
易には四象があり、これを言葉に繋いで意味によって細分化する事で良悪を決めているのです。
言葉を繋ぐ(9)-2
折角九宮が出てきたので、ちょっと図解で説明してみます。
元々の八卦九宮は平面図ですが、人体に応用する際には立方体として考えた方がイメージと理論を合致させやすい為、近年周易で量子力学を説明する方法が研究されている事もあり、これを研究している人の考えを拝借して記載します。
天一(乾)、天三(離)は天(上)にあって陽(上)の数なので、上に配置。
地二(兌)、地四(震)は地(下)にあって(下)の数なので、下に配置。
すると、以下の図のようになります。
立方体として八卦九宮を考えると、後残っているのは坤、巽、坎、艮となります。
乾、震、離、兊は定位として天地に配置し、
坤、巽、坎、艮は陰陽相交させるとすると、
上爻が陽である、巽・艮は天(上)に配置し、
初爻が陰である、坎・坤は地(下)に配置します。
巽は、天一に中央五を加えた6として、
艮は、天三に中央五を加えた8として、
上に配置します。
坤は地四に中央五を加えた9として、
坎は地二に中央五を加えた7として、
下に配置します。
すると、上下・前後・左右のある立方体で天地定位だけでなく、陰陽相交と言う動きも表現できています。
言葉を繋ぐ(10)
聖人には4つの道があります。
言葉で意味を示す事。
行動で変化を示す事。
形でイメージを示す事。
卜筮で判断を示す事。
君子と言われる人はこれを行っています。
行動し、質問する事によって意味を明らかにし、それを魂から出る命に喩えています。そうすれば深さも遠近も関係なく、やってくるものが察知できます。地上にある精密なものではなく、既にあるものなのです。
変化を踏まえて数を重ね合わせる事で、変化を理解でき、最終的には空間・時間と繋がります。
数の認識を極めていけば、移ろいゆく天地自然のイメージが定まります。天地自然は変化という固まってしまった言葉ではなく、今ある状態と変化をどう認識するかにあります。
老子が道は常に道と言うわけではないのが道だと言っているように。
易は考えるものではありません。無為ありき、静かに動き少なく、感じれば天地自然と一体となった証拠です。神になるのではなく、神であること、神があることを感じる事です。
易は聖人が極めて深く研究したものです。ただただ深く研究したからこそ、天地自然の根底、人の心根にまで通じています。
その為、見えないほど速いにも関わらず、見えない細部まで正確で、行動していなくても事象は変化し終わっています。
孔子が易には聖人の道が4つあると言っているのは、この行動、言葉、イメージ、判断を示し、全て揃えば四象から一(太極)に帰り、どれに特化するか、或いはバランス良く持っているかは、その人の特性によって異なります。
言葉を繋ぐ(9)-1
宇宙・自然・社会を数で表現してみましょう。
天一、地二、天三、地四、天五、地六、天七、地八、天九、地十と言う風に、天地(上下)と言う縦の広がりに、方向と言う横の広がりを加えてみます。(乾坤でもある)
すると天の数は五つ。地の数も五つで方向をデジタルに表現でき、天地の五つの方向でもそれぞれが陰陽として噛み合います。
天の数は奇数、地の数は偶数なので、天の数は合計二十五となり、地の数は合計三十となります。天地の数を合わせると五十五になり、この数を使って変化を認識し、見えないものの流れも見ていきます。
宇宙を数であらわす為に一旦五十と言う数を設定します。これは、五十五を無極とすると、中央の十と五の内、既に生まれている事から生数の五を抜いています。
しかし、これは宇宙の存在をあらわすだけ(太極)なので、変化する為にはバランスを崩す必要があり、一を抜いて四十九を使います(太極であり、陰陽消長盛衰の始まり)。
四十九を陰・陽として二つに分けて両儀とし、そこから一本抜いて、天・人・地の三才を象徴します。
次は四本ずつ分けて外していきますが、これは四季の時間が流れていくのをあらわしてしています。
最後に余った数がその時に出た結果であり、6、7、8、9のどれかになるはずです。
6は老陰、7は少陽、8は少陰、9は老陽で、老陽(太陽)、老陰(月)、少陽(星)、少陰(辰)を表現しており、これを6回繰り返します。(筮竹での占筮方法であり、宇宙から人の運命が降りてくる流れです)
乾の策216種(9×四象(老陰、少陽、少陰、老陽の4つ)×6(6段階の時間の推移)、坤の策144(6×四象×6)で360。60.875日×6とすると大体1年になります。
この乾坤二篇の策を約4倍に広げて考えると万物の時間と空間の表現ができます。
この為、四営(4回1セット)して変化を十分に起こし(変則通)、18回行えば6段階が揃うので卦となります。
八卦(はっか)は小さな完成形であり、これを引き延ばしたり、似たようなものをまとめて大きく考えると、天下自然に起こる全てを表現できます。
太極を明確にして、天から降りてくる感性を神と考えます。この為、人(自分)の意念と神が助け合って今の状態をあらわしています。
孔子は、変化の道を知っている人は神が降ろす天啓を知っているようなものだと言っています。