言葉を繋ぐ(8)ー8
(8)になっていきなり六十四卦が出てきた意味は何か?ダイナミックに考察すると、
呼応するもの同士が志を同じくして行動する。
その際には大きな困難を乗り越えても平然としていると、
それ以上に大きな恵みが得られ、
ここに著したような順序を立てれば物事は全て解決して
いくと言うような見方をしました。
本卦 之卦 互卦
風沢中孚 二爻 風雷益 山雷頥
天火同人 五爻 離為火 天風姤
沢風大過 初爻 沢天夬 乾為天
地山謙 三爻 坤為地 雷水解
乾為天 上爻 沢天夬 乾為天
水沢節 初爻 坎為水 山雷頥
雷水解 三爻 雷風恒 水火既済
身体に関して、本卦、之卦、互卦を比較してみると、
風沢中孚の二爻では、離為火の芯(陰)が広がっています。裏では血の消耗が激しいようで、一旦上に血を巡らせて上げることで地天泰へ持って行く方が良いことを示唆しています。
天火同人の五爻では、上半身に気血が巡りすぎて全身に火が着いた状態となっているので、一旦下にから清熱(解熱)した方が良さそうです。
沢風大過の初爻では、裏では下半身はまだ大丈夫なようなので、上半身に気を引く事で元気いっぱいになる様子が現れています。
地山謙の三爻では、下半身特に足に問題がありながらも、症状としては下腹部から股関節を指しており、裏では気の巡りが枯渇している事を示しているので、気を下に引くことで下腹部・股関節の気を一旦下に引いて挙げる様が良さそうです。
乾為天の上爻は、将に鬱や実証で百会までカンカンに実して痛みがあるような場合です。当然、どこからでもしっかりと泻法ができれば初めのアプローチとしては成功します。
水沢節の初爻は、喉や肩あたりで詰まりがあり、かなり症状がキツくなっているので、上下どちら側からか補ってあげるのが良い方法です。
雷水解の三爻は、頭頂部の気が足りず、腹部の停滞から全体的に症状が伝播している為、湿邪が抜ければとりあえず身体は小康を保つようです。
このように、人体を六等分(数)して、イメージ(数)から時間、空間の理論を構築し、実践してみるという方法を具体的に提示してくれているものと推察しています。
言葉を繋ぐ(8)ー7
雷水解 三爻 [陰陽陰陽陰陰]
孔子は、易を創ったものは、盗みの起因を知っていると言っています。
易には、一般人が荷物をたくさん詰め込んで、高級車に乗れば、盗みを誘っていると書かれています。
本来徒歩や公共の乗り物で移動するのが普通のレベルの人が経済力のある人と同じように高級車に乗っていれば、邪な心を持った人に利用される可能性が高くなる、と今いる位置(職業やその役割)に合わないことをすると無駄に不調和を生み出す事を暗喩しています。
また、大切なものを隠すのがずさんになれば、邪な心を持った人の欲をかき立て盗み心を涌かせることになり、女性がなまめかしい服装をすれば、その気がなくても淫らだと吹聴しているようなものです。だからこそ、荷物を背負いながら車に乗るのは、盗賊を誘っていると言っているのでしょう。
雷水解の卦は解決を示唆しています。西南方向が良く、ジッとしていても良い。問題が解決していなければすぐに解決する方が良い。
ただし、ここでは三爻と言っていますので、解釈は上記になります。
水面の上に雷が轟いている姿ですが、水というのは流れながらも困難にあっている姿をもあらわしているので、そこに雷のような速さと強さで変化が起きているのでしょう。
つまり、無駄に不調和生み出しながらも、大きな困難と言うほどではない為、時間が解決してくれますが、位置には注意を払うべき状態です。
身体的には、西南と言うと右肩前にあたります。左足の問題が右肩に急激に移る事によって解決していく可能性があります。
裏には雷風恒が隠れており、自分の位置をしっかりと護る事、方針をぐらつかせなければ良い状態と言っており、
小さな問題の対処を行う事で、将来の問題に発展することを避けられれば、その時点では一時的に良いが根本を解決できていないと言われています。
自覚症状を治める事でその部分は症状が治まりますが、原因は治っていないと言っているようです。
左足後ろに問題があって、治療する事で後に右肩前の不具合が出ている人は原因の見落としがある場合を示唆しているのではないでしょうか?
言葉を繋ぐ(8)ー6
水沢節 初爻 [陽陽陰陰陽陰]
戸庭から外にでなくても咎無し。
孔子は「乱が生じるには言葉の使い方と物事の順序に問題がある」と解釈しています。
言葉の定義を明確にしなければ下のものはついてこない。下のものが言葉を明確にしなければ自分の身体、職を失う。
ほとんどの事象は言語を緊密にしなければ害が起こる。
この為、君子は言語を慎み深く、手落ちがないようにして妄りに出さない。と言っています。
私的には上に水があるのが困難、下にあるのは口・言葉と解釈し、言葉をベースとして困難が上から降りてきていると考えています。
身体では、上に水があり、下は肺をあらわしているので陽水なのか、喉に問題があるのか。
いずれにしても水湿痰飲があり、肺で表現されています。
一番下が陰になると、坎為水 [陰陽陰陰陽陰]。となり水だらけとなって、意味は大きな困難となってしまうからです。
水沢節の初めで停滞すると、初めの内は水湿痰飲でストレスを我慢する余力となっていたものが、時間を経過すると水に身体がやられて病んでしまう事をあらわしているのでしょう。
解決策は、山雷頤 [陽陰陰陰陰陽]。適切な養生を心がけましょう。
言葉を繋ぐ(8)ー5
乾為天 上爻 [全陽]
亢龍悔いあり
孔子は「貴いようでも位がなく、高すぎれば民がついてこない。賢人は位を下にして助けないので、そこから動けば後悔することになる」と解釈しています。
乾為天は、全て陽で構成された卦です。
エネルギー一杯の姿をあらわしてます。
つまり、自信満々の人、自尊心の高い人。
余りに自尊心が高すぎると、その人がどのような職で上にいるかに関係なく、
だれも助けられないどころか、自分の身さえも怪しい状態だと解釈しています。
この場合の賢人は聖人より下。ただその会社や業界で地位が高くなっただけで仁愛の心が未だ育ってない人の事でしょうね。
乾為天は文字通り、太陽のようなエネルギーを発しています。ただいるだけで誰かに幸せを与えられる可能性がある存在なのにも関わらず、一番上(上爻)まで行くと、いきすぎてしまって全てに後悔しか残りません。
身体的には体内に熱が籠もりすぎている状態です。体力があればどこからでも気が抜ければ解決します。
言葉を繋ぐ(8)ー4
地山謙 三爻 [陰陰陽陰陰陰]
労謙する君子は終わりがあり吉
卦の意味としては、
孔子は「激しく働いても誇らず、功績があっても自分の徳だとは考えない。これが徳が厚い事の証明である。徳が盛んなほど礼は丁寧で慎み深くなる。謙とは丁寧で慎み深く、その位を保っている事を言う」と解釈しています。
実るほど頭を垂れる稲穂のようですね。
地山謙は高い山が低い地面にある事をイメージする卦です。
つまり、自尊心は周囲への調和に使う事で、周囲への信頼や尊崇の念が広がっていく事を示します。
三爻は皆の為、誰かの為に尽くしても、当たり前のように振る舞い、むしろ謙遜している姿は後々皆の心の調和への気持ちを広めることになると言うように解釈しました。
身体では、陽気が下腹部にしかなく、足に問題がある状態です。一見して上半身に気を補うべきかのようですが、地天泰を基準とすると下半身の二爻に陽気が来る方が調和されます。
弱って初めて、周囲の本当の優しさが分かるように、いつも感謝の気持ちを持つ事の大切さを教えてくれているのでしょう。
上半身に気を引いてくるべきか、地天泰を基準とすると下半身の二爻に陽気が来るべきか、
優しく上から引き上げてあげるべきか、基本的な心構えを厳しく指導すべきか、相手によって対応が変わります。
言葉を繋ぐ(8)ー3
沢風大過 初爻 [陰陽陽陽陽陰]
初六、敷くのに白い茅を用いる。咎無し。
孔子は「もし地面に置くことがあっても良い。その状態で茅を用いて敷く場合、悔いや憂いが起こる事はない。気を配った結果なのだから。茅は薄いが、重いので用いるには良い。このような気配りができる事が大事であり、そうすれば失敗する事はない」と解釈しています。
沢風大過という卦自体は、沢の水が木を腐らせている状態をあらわしています。つまり、成長しよう、何かを進めようとしている時に水をさされているような時です。このような状態でも、他を羨まず自分の道を信じて進むことが心の調和となり、物事がうまく進むと解釈をしています。
どのような壁、ハードルがあっても細心の注意を払っていれば自ずから道は開けるという事です。
そして、風沢中孚と向きが正反対の卦であることにも注目すると、
自分とは正反対の意見や行動があったり、ちょっと仲違いした状態です。
凝縮すると水になります。困難を示しています。困難があっても中の熱、エネルギーが大きい状態なので心配はありません。
体幹には熱が充満し、頭・足で不足して先端が冷えている様子をあらわしています。
脈で言うと膨張した後に収縮し始めています。
沈位に落ちても胃の気は失われないので悪い状態ではありません。
言葉を繋ぐ(8)ー2
天火同人五爻 [陽陰陽陽陽陽]
人と心を一つにする際には、始めは泣き叫ぶが後には笑顔となる、と言う言葉が天火同人と言う卦の下から五番目の意味です。
孔子の解釈は「君子の道は世に出るものもいれば、野にいるものもいる。黙っているものもいれば、語るものもいる。このような君子達の中で、二人が心を同じくするだけで、金属を断つくらいの鋭さとなる。心を同じくしたもの同士の言葉は蘭のような香りである」としています。
天火同人の卦自体は、天と火が描かれています。火が天に上っていく様であり、
同じような属性のものが集まって天へと昇華するイメージです。
但し、五爻では大変な苦難の末に同志に出会うことで調和できるとされています。
卦を凝縮しても、天か火のどちらか一つにしか見えません。
似たようなものの中から合うものを一つ選ぶには始めは失敗が多いけれど、区別できてくれば必ず分かってくるという解釈をしています。
人体で言うと、卦のイメージとしては全身に気が満ちすぎて気の滞りが出ている状態ですが、
熱源は下半身。下半身の熱を取るか、上半身から抜くか。どちらであっても
経過は大変苦しむが、結果としては発散できるはずのものが発散できていないだけなので必ず調和できるという意味に取れます。