衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

言葉を繋ぐ(8)ー6

水沢節 初爻 f:id:shuji0211:20170511205631j:plain

 

戸庭から外にでなくても咎無し。

 

孔子は「乱が生じるには言葉の使い方と物事の順序に問題がある」と解釈しています。

 

言葉の定義を明確にしなければ下のものはついてこない。下のものが言葉を明確にしなければ自分の身体、職を失う。

 

ほとんどの事象は言語を緊密にしなければ害が起こる。

 

この為、君子は言語を慎み深く、手落ちがないようにして妄りに出さない。と言っています。

 

私的には上に水があるのが困難、下にあるのは口・言葉と解釈し、言葉をベースとして困難が上から降りてきていると考えています。

 

身体では、上に水があり、下は肺をあらわしているので陽水なのか、喉に問題があるのか。

 

いずれにしても水湿痰飲があり、肺で表現されています。

 

一番下が陰になると、カン為水。となり水だらけとなって、意味は大きな困難となってしまうからです。

 

水沢節の初めで停滞すると、初めの内は水湿痰飲でストレスを我慢する余力となっていたものが、時間を経過すると水に身体がやられて病んでしまう事をあらわしているのでしょう。

 

解決策は、山雷頤。適切な養生を心がけましょう。

 

 

言葉を繋ぐ(8)ー5

乾為天 上爻 f:id:shuji0211:20180517225549j:plain

 

 亢龍悔いあり

 

孔子は「貴いようでも位がなく、高すぎれば民がついてこない。賢人は位を下にして助けないので、そこから動けば後悔することになる」と解釈しています。

 

乾為天は、全て陽で構成された卦です。

エネルギー一杯の姿をあらわしてます。

つまり、自信満々の人、自尊心の高い人。

 

 余りに自尊心が高すぎると、その人がどのような職で上にいるかに関係なく、

だれも助けられないどころか、自分の身さえも怪しい状態だと解釈しています。

 

   この場合の賢人は聖人より下。ただその会社や業界で地位が高くなっただけで仁愛の心が未だ育ってない人の事でしょうね。

 

乾為天は文字通り、太陽のようなエネルギーを発しています。ただいるだけで誰かに幸せを与えられる可能性がある存在なのにも関わらず、一番上(上爻)まで行くと、いきすぎてしまって全てに後悔しか残りません。

 

身体的には体内に熱が籠もりすぎている状態です。体力があればどこからでも気が抜ければ解決します。

 

言葉を繋ぐ(8)ー4

地山謙 三爻 f:id:shuji0211:20170511191750j:plain

 

労謙する君子は終わりがあり吉

 

卦の意味としては、

 

孔子は「激しく働いても誇らず、功績があっても自分の徳だとは考えない。これが徳が厚い事の証明である。徳が盛んなほど礼は丁寧で慎み深くなる。謙とは丁寧で慎み深く、その位を保っている事を言う」と解釈しています。

 

実るほど頭を垂れる稲穂のようですね。

 

地山謙は高い山が低い地面にある事をイメージする卦です。

 

つまり、自尊心は周囲への調和に使う事で、周囲への信頼や尊崇の念が広がっていく事を示します。

 

三爻は皆の為、誰かの為に尽くしても、当たり前のように振る舞い、むしろ謙遜している姿は後々皆の心の調和への気持ちを広めることになると言うように解釈しました。

 

身体では、陽気が下腹部にしかなく、足に問題がある状態です。一見して上半身に気を補うべきかのようですが、地天泰を基準とすると下半身の二爻に陽気が来る方が調和されます。

 

弱って初めて、周囲の本当の優しさが分かるように、いつも感謝の気持ちを持つ事の大切さを教えてくれているのでしょう。

 

上半身に気を引いてくるべきか、地天泰を基準とすると下半身の二爻に陽気が来るべきか、

 

優しく上から引き上げてあげるべきか、基本的な心構えを厳しく指導すべきか、相手によって対応が変わります。

言葉を繋ぐ(8)ー3

沢風大過 初爻 f:id:shuji0211:20170511192529j:plain

 

 初六、敷くのに白い茅を用いる。咎無し。

 

孔子は「もし地面に置くことがあっても良い。その状態で茅を用いて敷く場合、悔いや憂いが起こる事はない。気を配った結果なのだから。茅は薄いが、重いので用いるには良い。このような気配りができる事が大事であり、そうすれば失敗する事はない」と解釈しています。

 

沢風大過という卦自体は、沢の水が木を腐らせている状態をあらわしています。つまり、成長しよう、何かを進めようとしている時に水をさされているような時です。このような状態でも、他を羨まず自分の道を信じて進むことが心の調和となり、物事がうまく進むと解釈をしています。

 

どのような壁、ハードルがあっても細心の注意を払っていれば自ずから道は開けるという事です。

 

そして、風沢中孚と向きが正反対の卦であることにも注目すると、

 

自分とは正反対の意見や行動があったり、ちょっと仲違いした状態です。

 

凝縮すると水になります。困難を示しています。困難があっても中の熱、エネルギーが大きい状態なので心配はありません。

 

体幹には熱が充満し、頭・足で不足して先端が冷えている様子をあらわしています。

 

脈で言うと膨張した後に収縮し始めています。

沈位に落ちても胃の気は失われないので悪い状態ではありません。

 

言葉を繋ぐ(8)ー2

天火同人五爻 f:id:shuji0211:20170511191649j:plain

 

 人と心を一つにする際には、始めは泣き叫ぶが後には笑顔となる、と言う言葉が天火同人と言う卦の下から五番目の意味です。

 

孔子の解釈は「君子の道は世に出るものもいれば、野にいるものもいる。黙っているものもいれば、語るものもいる。このような君子達の中で、二人が心を同じくするだけで、金属を断つくらいの鋭さとなる。心を同じくしたもの同士の言葉は蘭のような香りである」としています。

 

天火同人の卦自体は、天と火が描かれています。火が天に上っていく様であり、

同じような属性のものが集まって天へと昇華するイメージです。

 

但し、五爻では大変な苦難の末に同志に出会うことで調和できるとされています。

 

卦を凝縮しても、天か火のどちらか一つにしか見えません。

 

似たようなものの中から合うものを一つ選ぶには始めは失敗が多いけれど、区別できてくれば必ず分かってくるという解釈をしています。

 

人体で言うと、卦のイメージとしては全身に気が満ちすぎて気の滞りが出ている状態ですが、

熱源は下半身。下半身の熱を取るか、上半身から抜くか。どちらであっても

経過は大変苦しむが、結果としては発散できるはずのものが発散できていないだけなので必ず調和できるという意味に取れます。

 

言葉を繋ぐ(8)ー1

六十四卦の中の風沢中孚二爻には、

 

親鶴が山陰で鳴けば、子鶴はこれに同調して鳴く。私は今良い盃を持っているので、

あなたと酌み交わそうと思う。

 

と書かれています。

 

孔子はこれを次のように解釈しています。

 

 君子が部屋の中で言葉を発すると、良い事は部屋の外にいる人まで同調するので、近くにいる人は尚更であるが、良くない事であれば部屋の外にいる人はそっぽを向き、近くの人は余計に同調はしてくれない。

 

 言葉は身体から出て、人々に影響を与える。行動は身の回りの事を行うが、遠くから見て客観的に判断出来る。

 

 ここから、君子というものは言行を最も大切にすべきだと考えており、最も大切なところから発するものの中には、自身の栄誉と恥辱が含まれる。

 

 つまり、言行は君子が天地を動かすものなので慎んで言葉を発し、行動するべきなのである。

 

 

 

私の解釈は、風沢中孚という卦は

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風沢中孚

このようになっています。

 

つまり、大きく見れば風沢中孚ですが、凝縮すれば八卦の離火なります。 

エネルギーが大きく吹き出している状態で、周りを照らし、尚かつ周囲と調和する姿。

慎み深く接しなければ離火なので火傷させてしまいます。

 

身体的に見ると、上半身・下半身は陽であり、熱していますがお腹は熱がなくなってきているので特に下腹部に注意した方が良い状態です。

 

また、兌沢が向かい合った卦でもありますので、上がしっかりと隠れた良さを引っ張っていければ泰卦として、陰陽調和できる可能性もあります。

 

腹部の血の不足を補うべきか、頭部の血の過剰集中を取り去るべきかが二爻では、

プラスの言葉を発する事で、調和へ同調させられるとの事なので、腹部の陰血を補うような方法が良いのでしょう。

 

長くなるので続きます。

言葉を繋ぐ(7)

孔子の解釈としては

 

易には全てが備わっている。聖人が徳を高め、その考え方を広める為にある。知恵は高い方が良く、礼は低い方が良い。これは知恵は天から得られるヒント等、運の要素を多分に含んでいるので天から学んでいると言えるし、礼は相手よりもできるだけ低い位置にいる方が行動で気持ちを表す事ができ、地から受け取っていると解釈しているものだ。

 

と言われます。

 

これも知恵を天、礼儀を地として上下という位置を設定しています。易による思考法は、太極を設定し、この中で陰陽と言う変化を観察し、判断し、意味付けし、行動します。人の本質は天に属し、複雑な人間関係は地となり、その中で生きていく為の門と考える事ができます。

 

聖人は世の中の深いところまで洞察できるので、様々な出来事をなぞらえて物に象どり、これを象(イメージ)にしました。

 

聖人は世の中の動きも広く理解しているので、その動きが収束する場所や変化を見てその法則を使い、言葉にして良悪を判断しています。

 

自然界や社会等、人間が生きる空間はこの上なく深い真理が存在するが嫌になっても何も解決しません。また、時間もこの上なく複雑で速く錯綜していますが乱れても何も変えられません。

 

重要なのはこれらの変化をイメージとして受け取り、それを踏まえて言葉にする事。言葉にしたものから、更に細かな動きを見て行動する事。

 

そうすれば、その行動はその時に現れている空間の時間的変化に対応できるのです。