七情と顔③
怒り
思春期から成人までの間で良く観察でき、良い方向へ巡っていると向上心に変化します。
驚き(意外な発想・発見)からモチベーション ①向上心と巡る場合と、②モチベーションに対して思考と現実がかみ合わずに怒りとなりやすい場合があり、これが思春期から成人期に良く見られがちです。
これは程度によって、2種類あります。
①は活動力として生かせている場合ですが、マイナスに作用し始めると、②になります。
②には、まだ我慢できている状態、爆発した状態の2種類に分ける事ができ、我慢出来ていれば青で、爆発寸前或いは爆発した場合には赤で光を発します。
顔の形としては細長い人、見えない気の有様としてはホースをギュッと握って水を出した時の水の勢いのような状態です。
そのような形の人は気の動きの速さが具現化した結果身体は細くなり、心も繊細な面があります。
元々身長が高く細い上に、顔が長い人はこの属性であり、気が鬱滞していれば青っぽく、発散段階になると赤に変化します。
思春期ではとりわけ白目(強膜)の部分が青いので分かりやすいですね。
お酒を飲むと顔が赤くなりますが、いつも飲んでいる人は鼻が赤なっていたり、顔に出ない人は白目が青くなっていたりするのも同じように見る事ができます。
七情と顔②
七情とは東洋医学的に感情を分類したものです。
驚き、恐れは腎
怒りは肝
喜びは心
思いは脾
憂い、悲しみは肺
簡単に考えると、
驚きや恐れは出生から、思春期までに見られやすく
怒りは思春期から成人まで
喜びは壮年期
思いは老年期
憂い、悲しみは老年期から死ぬまで
この間で起こりやすいのが基準と考えています。
あくまでも基準ですので、固定的に捉えないようにし、基準というレールの上で様々な動きを考えてみます。
例えば、出生から思春期までは感情の波が激しく、偏りがちです。気の動き、量が変化しやすく、上外方向への発散と枯渇が起こりやすい時期です。
この頃に泣き虫だった人は
驚きや恐れが怒りやモチベーション、楽しみに向かわず、悲しみに向かっています。
優しい性格の子、ゆっくり確実に成長しようとしていた子が、環境に成長や判断を急かされたり、孤独感を感じる事で起こる事が多く見受けられます。
表面上元気な場合は、エネルギーがある為に違う感情に転化しようとしている場合と、無理して元気に振る舞っている場合とがあり、体調を崩してたら気をつけてしっかり甘えさせてあげると良いですね♪
驚く際には、少しの気が通常よりもかなり速く上方を中心に放射状に流れます。
気も無限ではありませんので、一定量を過ぎると時間当たりに動かせる量がなくなり、身体機能は一時的に停止或いは身体を立てている事ができなくなります。
少量で早ければ驚きとなり、大量で持続したり、瞬間的に活動力を奪うほど多ければ恐れとなります。
つまり、表情も同様に額が上がり、眉尻が斜め外上方向に行くと驚き、その位置から瞬時に力が抜ける、或いは色や光が抜けると恐れという状態です。
顔の形としては中央より、外、上に目が着いているようないわゆる草食動物系の顔をしている人等がこの方向の感情に対する感受性が普通の人より発現しやすい傾向にあります。
七情と顔①
人は様々な感情が揺れ動き、揺り動かしながら日常を送っています。
さしずめ天照らす太陽と海に差し込む月読の間で、すさぶ波のように。
その様は光エネルギーとして外に発せられ、東洋的には気として捉えられています。
ある程度同じ光が定着すると色となります。
更に時間が過ぎると、その色が持つ特性に従った形となります。
つまり、無意識に発している感情の波がベクトルを変えて色、形となり、その形の上にまた光が通って行きます。
このような光と色と形は人の身体の中でも、自分を表現する顔出やすい為、七情と絡めて少しお話を書いていきます。
幸せとは
星の降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘をさせる事です。
と、back number の歌詞を書いてみました。
幸せの定義ではなく、ある一つの見方で、この詞の作者のご意見です。
日常が幸せではなく、日常の中の変化に無意識に対応できる自分が「俺格良い!」←幸せ
と言っていると解釈しました。
若くてよいですね〜♪
その後の
夢の為に生きられた人
それた道が正解だった人
誰かの為に費やした人
自分を生きた人
という下りは、偏見が入り過ぎていますが、、、
全部自分の選択の結果です。
ちょっと言い換えると、
わがまま通してやりたいことだけやった人
やりたいことではなかったけど、まぁ後悔せず、人並みの事ができた人
人と触れ合い、利益を共有した人
目的と結果が一致した人
角度を変えるとこういう見方もできます。
歌であり、その歌詞なので「俺格好い〜♪」ベースで良いんです!
幸せとは何か?
今の僕なら、今まさに生きている事。
そして、死んでも幸せ。
生きているからこそ、色々な人と触れ合い、助け合える。
そんな考えに至った事でもう充分幸せは堪能しましたw
言い換えると僕にとっての幸せとは、
星の降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものです(笑)
次にカラオケ行った時の神様(かみさん)からの課題曲なので、ちと書いてみました。
あ、かみさんが笑ってくれるのが1番の幸せです!
節度と養生⑥
まとめ
1日のサイクルが理想的であれば、一生の生き方も理想に近づきます。
現実には中々うまく養生を意識するのは難しいものですが、思い出した時には実行し時間をかけて習慣化します。
朝は前日から引きずっている事がないか?
引きずっている事があればスッキリさせる方法がないかを軽く意識します。
特に覚醒時の状態、朝ごはんの味、便通がポイントです。
昼は、中継地点。覚醒から午前までの息継ぎでもありますので、あまり考えずにただ身体と心を少しでも休ませる為に昼寝が導入できるように意識します。
晩から入眠までは、1日の総括。反省はしても後悔しないように、身体と心に感謝して、しっかりとした休息と回復ができるようにする為に、身体の各部と向き合います。
少しでも実現できたら、自分を褒めてあげましょう。
褒めすぎて仕事や勉強でやりすぎたと思ったら、次からはそのやり過ぎを違う方向で使えるように意識しておきましょう。
過去を自省の材料として捉えてみます。未来をより良く生きる為には、自分の今の立ち位置と方向を見誤らない事です。
そして見誤ったとしても方向を変えて、向き直せば良いと思うこと。
一人一人違う1日、違う人生に全く同じ正解などありません。
今を楽しく、悔いなく生きる為に、自分に驕りすぎず、自分の心だけでなく、身体を尊重し、労ってあげることで、1日の終わりには「ようやった」、一生の終わりには「よう生きたわ!楽しかった!」と思えるように、私自身は養生し、生きています。
節度と養生⑤-2
⑤-2 睡眠の為の養生
睡眠は休息と回復を同時に行います。円滑に行う為には何事にも準備が必要で睡眠も例外ではありません。
その為、入眠まではとても大切です。
現代ではPCを夜遅くまで使ったりしますが、これは光をずっと見続けているようなもので、目の消耗が著しいと同時に気を昂らせる為、夜にPCを常用すると入眠の妨げになります。
晩の養生が中々難しい分、入眠時にしっかりと養生します。
1つは、洗顔時と同じように顔を触ってあげること。意識できていない部分は入眠準備もできていません。下から上へ、上から外と優しく触っていきます。余りに昂ぶっている部分があれば少しそこで手を止めたり、手が触れるか触れないかの程度でしばらく観察します。
この際に、できればその部分に声をかけてあげましょう。今日もお疲れ様でも良いし、いつもありがとうでも構いません。声に出さず頭で考えるだけで結構です。
次は同じように体幹に対して触っていきます。慣れれば1分もかからず、触らずにできるようになります。
最後はお腹で行います。顔や全身で行う余裕がなければ、お腹だけでも良いので優先順位としては1番に行います。
お腹は右回りに触りながら、左、下、右とそれぞれ具体的に臓器をイメージしながら腹式呼吸を行なって顔の時のような声かけを行います。
私の場合は、布団に入るとこれを実施する間もなく寝てしまいます。その場合は、お腹がちゃんと準備してくれたのだと、考えています。
背中と足が冷えないようにすれば入眠準備は完了です。
節度と養生⑤-1
⑤-1 睡眠
節度と養生の最後は睡眠について。
東洋医学の古典では、冬で始まる事が多く、冬は人体では腎をあらわしています。
この腎は腎臓そのものだけではなく、機能とメインに波及する効果までをあらわしています。そして先天的な両親からいただいた元気があるところとも言われます。
東洋的な身体観から言うと、この先天的に両親からいただいた気が覚醒と睡眠、活動と回復(リサイクル)を繰り返しています。
その回転の速度と大きさは、生まれ出て、成長し、青年期・壮年期までに加速し、膨張します。
壮年期を経た後からは徐々に収縮し、減速し、極限まで小さくなると雲散霧消します。
1日のサイクルから1年のサイクル、一生のサイクルでの共通項を探すと、類似している事が分かります。このような考え方を理論、イメージ、数と一致させる事も易となります。
1日の終わりは睡眠で外界との意識的な交流を閉じ、一生の終わりは永眠とも呼ばれて他の人との交流ができにくくなります。
この睡眠の間は無駄な活動を極力減らし、次の活動が円滑に行われるようにする為の回復期間であり、準備期間であるのでしっかりと時間をかけて休息、回復できる事が望ましいのです。