衆妙の門

できるだけ、日常に沿った具体的な易などの運用を記していこうと思っています。

節度と養生①

  一年の節目、節目を節と呼び、昔は一年を二十四の気の節目を作って、その際の気候の変化、旬のもの、動植物の動きなどを1つの言葉に込めていました。

 

   今年は大寒に入って本当に寒く、本来の年の流れが来ているように感じます。

 

  易の考え方を広げると、人の人生、ある時期、日常の一コマにも通底します。

 

  つまり、生活にも必ず節度が必要で、その節度が守られていると心身のバランスをとりやすく、心・飲食・運動の過不足を日によって調整する事が人生の土台(型枠)となっていきます。

 

  全てを書き連ねると長く複雑になるので、これからゆっくりと身体の調整によって身体の声を聞く方法を不定期に書いていきたいと思います。

邪気と陰陽、治療と社会的関係

先日、ある話を聞いて陰陽だな〜と感じた話。


誰かが誰かの欠点?(間違い?)を陰で揶揄する。


言われた当事者が、その口撃を耳にすれば嫌な気がするのは至極当然の反応です。


ここで相手の立場に立って分析してみると、


相手は権威があるか、立場が上だと言う認識で、


1、間違っていることを正している。


2、本人は気づいていないが、相手の何か光るものに嫉妬している。


1、であれば堂々と面前で指摘するのが筋(陽)ですし、それに対しての反応であれば陰陽の変化によるお互いの利点があります。

そして、指摘には平らな気持ちで導けるようにすると、上と言う位置の本来の働きが輝きます。


2、であれば自分の嫉妬(陰)を増大化させるだけで、自分で自分を気づけ、転化すれば身体にも影響が出てきます。


これに対して受けた側が、短時間には凹む(陰)、憤る(陽)などの反応が出るのは自然の変化であり、易の陰陽に則っています。


対処は通り。


1、勝手に陰陽を乱している人の気を受けて、同調しないこと(無視)。


2、意見の相違や位の違いを受け止めて、真摯に教え?を乞うこと。(陰を陰で受け止め、包み込む)


3、憤りや行動の欠点を指摘して潰すこと。(小さく濁った陰を公然と潰す)


などが考えられますが、勝手に妬んでいると考えるのであれば、動かずとも、陰中で陽を振り回しているので、遅かれ早かれ自爆します。


そのような邪気に同期するよりも、自分とは太極の違う人として、無理に陰陽嚙みあわせる必要はないのです。


しかし、一応その邪気がこちらの心身にどのような影響を及ぼすかを見越してある程度対策を練っておく必要があります。


1、周囲に拡散する


2、どのような内容かを熟考して害があるようなら早めに排除できる準備をしておく。


あとは笑顔でいれば(陽)、陰に対しては後の先で十分に勝ち口があります。



お風呂

   お風呂って、身体を洗って1日の汚れを流し綺麗にする行為と考えている人がほとんどだと思います。

 

  僕は東洋医学の世界に入ってから、ちょっと違う観点で感じています。

 

  自分の身体の外面にある陰陽の不調和を整える事で、生物が初めて持つであろうと言われる神魂(心腎)を清めているのだと。

 

  普通の人が読むと怪しい話に聞こえるかもしれませんので、砕いて書くと、

 

  外面の汚れを流すのは当然のこと、温かい水流に包まれる事で、心は気持ちよく、身体は血流の全体的な偏りを整えているのだな、と感じています。

 

  つまり、この時に冷えているところが温まるようにしておくと、自分の身体の力で調和させる力は活性化します。


  滝行などは、これの逆ですね。


  様々な意図が含まれていますが、冬の寒い時期には熱(気)を内に溜め込んでいるので、発散と収斂を一時的に与える事で、生命力を活性化するという側面もあります。


  但し、これにはリスクも伴う為要注意で、言い換えると入浴もどのような意図を持つかで変わってきます。

 

 

 

 

運と性質の重なる時

   自分が持って生まれた形質は、そのままその人が持つ性質に静かながらも大きく影響しています。


  その形質を超えて性質を最大限発揮させる事ができるのは平均すると、35歳くらいまで。それまでとてもうまく使いながら、形質にも恵まれた人では、還暦まで最大限発揮できている人もいましたが、それは極めてまれです。


   その間も性質が暴走すれば、病となったり怪我や人間関係の悪化などによって警告してくれています。


   僕の場合は、若い頃は兎に角、左手の小指裂傷(4針)、左中指の切断(なんとか縫合でき、癒合しましたw)、右鎖骨骨折、肋軟骨骨折、喘息、アトピー様症状、顔面のただれで頂点を極めたにも関わらず、無視して、右脛骨の螺旋骨折(18針とプレート)にまで至り、それでも俺は俺!と生きてきた結果、人生でも様々なハードルを越える必要が出て、やっと気付きました。


   全て必然だったと。


   気づいてからやっと身体も心も分かるようになってきましたが、完全にコントロールなんてまだまだできてません。


   まぁ、死ぬ間際に「生き切った!」と思えればいいと考えています♩

   

自分の身体を知る

感情は毎日著しく変化しています。


呼吸は、感情や運動に左右されますが、できるだけ一定のリズムを保ちながら落ち着いて、外界のエネルギーを安定して摂取しようとしています。


飲食は気の偏りによって摂取しやすいものとしにくいものがあり、感情と運動の加減によって変化する場合と習慣化する場合があります。


つまり、感情の偏りによって欲しいものが変わったり、偏り続ける事で摂取する飲食も偏り、習慣化します。


運動は飲食の質や感情によってできる範囲が変わりますが、一番コントロールしやすく、できるだけ赤ちゃんのような柔軟性を維持する事で、他の機能も発達、維持しやすくなります。


この4点を基本に、僕は自分の身体をチェックしてます。


毎日、目が覚めてから行動できるまでの時間、便通の有無、スッキリと出たか、ゆるいのか硬いのか。


食事を美味しく取れているのか。


マイナス感情を次の日に持ち越していないか。


背骨で動きが悪い部分がないか。


たったの4項目。初めは漠然と意識するだけでも、何となくその日何が足りないのか、やりすぎているのかが把握でき、習慣化できると如何に自分の身体に意識を持たずに生活していたか分かります。


     更に細かくチェックすれば良いですが、あくまでも自分のペースでゆっくりと向き合ってあげる事が大切です。


見えるものは見えないものが集約した短期的な結果でしかありません。


見えなくとも毎日動かしている感情、飲食(消化器)、運動、呼吸に少しだけ目を向けてあげるだけでも身体は喜び、今以上の力を発揮しながら維持してくれます。そして、負担がかかり過ぎた時に、それは全て自分が積み重ねた結果である事が分かります。


先ずは自分の身体を知る事で、自分の心、周囲で起こる事象の変化を感じるきっかけとなります。


誰でも日常生活、仕事が大切なのは言うまでもありません。だからこそ、心と身体を安定させてできるだけ長い間充分に使えるようにしておく事が大切で、簡単なチェックとメインテナンスをする必要があると思います。

3年修行が遅れても良い師を探せ

    奥深い技術を学ぶ際には、3年修行が遅れたとしても、良い師を探せ。

 

   中国武術を学びたいと思っていた小学生時代に知り得た情報ですが、色々な事を知った今、なかなかの金言だったと感じます。

 

  当時の田舎町に道場や教室があるわけもなく、故松田隆智氏の本、月刊「武術」くらいのものでした。

 

  その書籍を頼りに色々な套路、型を覚え、技を練りましたが、結局実戦で使う事は稀。

 

  高校時代の空手の大会で、4位となった時の上位3人は身長180前後。2人と対戦したものの、一発の重みが明らかに違う。

  力と速度がなければ、更に上に行くのは難しい。しかし、力は体格による重さと高さが大きく関係する為、背が高く重い方が圧倒的に楽で、強いのがこの競技...

 

あぁ、これは競技なんだと感じた瞬間でした。

そして、歳をとっても互角に戦い、又若い人を相手にしようと考えると、この競技と方法では僕の肉体(小学生で身長の伸びが止まった163)にはハードルが高いと直感しました。

 

 それからは、また本物の武道や中国武術探しながらも、半ばあきらめの境地。

 

ある時に、幼なじみから大東流合気柔術六方会の宗師、岡本正剛先生のビデオを見せられ、「これはない、嘘やろ〜」と思いながらも大きな期待を持って練習会に参加しました。

 

 ここからは大東流 の項に詳しく書いていますが、この技を学ぶ事で「気」を初めて実感できたのです。日本武道の中でも「気」に特化した術、更にその中でも1番マニアックな岡本先生との出会いが、東洋医学の中でも生きています。

 

 これを幼い頃に学んでいたら、もっと修練できていたかもしれませんが、

 

 恐らく僕が理解できる身体と心を持った時に初めて出会えるように運命が定まっていたようにも感じます。

 

 そして、ここから太極拳等の中国の内家拳と言われる武術が内包する原理原則についても考察することができるようになりました。

 

 技術も大切ですが、感覚も大切、そしてイメージも大切。

 

 これら三つが総合して初めて、真の奥妙な技になり、身体になり、心が宿ると思っています。



    つまり、まだまだですわw 

 

顔を観る⑧

最後は、口です。


顔の五常(五行)と言う考え方があります。


その中で口は「信」と言われています。


四角い形が理想的で、しっかりと締まっているのが基準となります。


海角(口角)はやや上がっているのが、 良く、この辺りは美容等にもピンポイントで取り上げられ、知っている方が多いと思います。


いつも口を開けている人はだらしない感じがしますが、実際に情報の出力、入力もだらしない事が多く、この中には心を代表する舌が内包されている事から、口を開けっ放しで、舌に活力がなければ、いつもボーッとしている人となります。


反対に口は兌為沢の卦の作用もあります。

身体全体で観ると、気が詰まっているのに上だけ空いているため、災いが出やすい状態です。


呼吸器に問題を持ちながら、いつも憂鬱なマイナス思考を抱えている人から出る言葉や抱えている想いには、邪気が詰まっている可能性がありますが、身体的な問題が解消すれば、その口調も変わる可能性があるので、その辺を診てみると、また面白い見方ができます。


あくまでも、一部の特徴的な情報ですので、全ての情報を集めた上で、判断する事を絞る必要がありますが、大まかに判断すると、顔の5つの部位にはこのような特徴的な情報が詰まっています。