顔を観る⑤
眉の次は目ですが、
東洋医学には五輪八廓(ごりんはっかく)と言う概念があり、病と健康の判断にはそちらが優れています。
その為ここでは簡単に要点だけ記します。
あくまでもダイナミックに人を観る事を考えると、
①目尻の上下
②瞼の肉の状態
③黒眼の状態と動き
④目と目の間の距離
この四点からその人の生きてきた流れを垣間見ます。
例えば、目尻が上がり、瞼の肉が豊かで、黒眼が上向き、目と目の距離が近い(狭い)人にはあまり近づきたくないですねww
なぜなら、目尻が上がるのは人より上から構えたい気持ちのあらわれ。
瞼の肉の豊かさは、使える気の量ですが、それを使って黒目を絞り上げることで、攻撃性に注力させます。
草食動物は眼が左右に分かれていますが、これによって周囲を見渡し、肉食動物から逃げる準備をいち早くする事ができます。反対に肉食動物は、獲物を捕らえる為に前方に二つついて距離を正確に測ります。
総合すると、何かに対して攻撃的な行動をする、している予兆としてこのような顔つきになって安定している為、近づけば被害を被る可能性が高まります。
全て肝の気を使いながら、隠しているので、
口調は穏やかであったり、一見優しい人であっても注意が必要なのです。
良い目は、力がありながらもどこか優しさや暖かさを感じる目です。
目は動きが認識しやすい上に心模様を反映しやすい為、この状態が良ければ、他に悪い兆候が出ていてもそれは勘案せずに目の状態を優先して判断します。
優先順位が高いのは目、声、肌の艶です。
顔を観る⑥
鼻は東洋医学では、脾をあらわしていると考えます。
観相学では、自我、自尊心が主体となり、鼻翼は蓄えと考えています。
つまり、観相学での鼻は東洋医学で考える、脾と心、肝の総合作用となります。
鼻翼は東洋医学では胃に当たりますので、胃にどれくらい溜め込めるか、溜め込んだエネルギーをどのくらい前に出せるかをあらわしています。
発達の度合いは、肝と心の総合作用です。鼻頭が高ければ高いほど自尊心が高く、低ければ自尊心も低いと考えます。
つまり、脾が主体となって成長過程の形跡として肝と心が関わっている部分で、高くなる程肝と心の補助作用が強く現れます。
この考え方、見方は、誰しも直感的に感じているものですね。
顔が人体及び心の整体(全体)で、その一部が自尊心を高くする器があるからと言って、その人の自尊心が異常に高いとは考えません。
一部の状態は整体(全体)を反映し、全体も一部を反映していますので、あくまでも自尊心に関する一つの指標が陽性と出ているだけです。
つまり、鼻が高い、頬骨が前に出ている、目つきが鋭く目尻が上がっている、人を射るような目、眼光が鋭いと言うような幾つかの条件が揃って初めて、自尊心の高さが内外に現れていると言って良く、これに眉毛の荒さや顔の赤み、照り、声が枯れ気味と言ったような気色声色が加わる事によって自尊心の高さ+他人への攻撃性が加わり、争いを起こしやすい人と一旦考える事ができます。
このような人は、元々肝の気が強く、それが当たり前となって現在他人にも影響を与えていますので、小さな事でストレスを溜めやすく、怪我をしやすいと言う側面や何でも自分でやりたがり、自分から外傷を起こしやすい(事故も同様)というような面が多くあらわれます。
こう書いていくと、若い頃の自分の事を書いているようで、筆が進まなくなりますが、僕自身は決して鼻が高いわけではありませんが、当時は痩せていて、眼光鋭く、眉間も額も狭く、すぐに頭に血が上っていましたので、自尊心の高さと他への攻撃性は親和性が高い性質ですが、同じではないこと。
生き方によって、それらは変化させられますが、形態の変化はそれよりもかなり遅い変化となります。
顔を観る④
肺と眉
肺をあらわす部位は眉と眉の間で、印堂と呼ばれますが、経穴としての印堂はもう少し上で、ビンディと同位置だと思います。何か意味するものがあるかもしれません。
肺は気を主(つかさ)どると、言われていますから、眉が流れるように生えていれば、生まれてから最近まで、中々上手な気の使い方をしてきた人です。
反対に眉の生え方が荒かったり、剛毛だと気も荒いと言えます。
どれだけスマートな感じがする人でもちょっと注意した方が良いかもしれません。(一部位で全てを決めるわけではありませんので)
あいにく、僕は左の眉尻がピョンと跳ねてますwww
今は若い頃より眉毛は大人しくなってますが!
人が人として形づくられる際には、外側から真ん中に気が流れていき、生まれてから成長するに従って、その気を使いながら生きていきます。
つまり、僕は生まれ出でる際に何か跳ね返るような事をしたと…
はい
ここは記憶にはございませんが、母に良く言われました。破水してから病院に着いていないのに、顔を出してきたらしく後七分遅れたら死んでたと。
生き急いでいたのでしょうねw
眉は毛だけでなく色々意味がありますが、始めはこのくらいのイメージで良いかなと思います。
後は眉間の広さが使えている肺(気)の容量と考えますので、眉間が広ければ度量も広く、繋がっていれば度量が狭い可能性があります。
若い頃は毛が生えていたが、徐々になくなった人等は、年齢と共に器が大きくなったと考えられます。そう考えたいです…
顔を観る③
手順としては、
①先ず顔全体の色と光沢を観ています。
白ければ血色が悪く、非効率に血を消耗しているのか、元々作る力が弱いのか。
青ければ、何かを溜め込んで飛躍、敵対しようとしているのか、有り余って溜まっているのか。
赤ければ、怒り、活動過多か呼吸器の問題か。
黄色ければ、溜め込み過ぎか出すべきものを出せていないのか。
黒は、出すものも出せず、入れるものも入れられずに止まってしまった状態。
②は①を下地とした上で、上中下の三部位に分けて、どこに違和感があるのかを観ます。
③は五官の発育状況を観ます。
④最後に鼻梁を四分割、それ以下を腎として気色を観察します。
ちょっと面倒くさい手順ですが、こうすると東洋医学に必要な治療情報だけでなく、その人の流年(人生)も観やすくなります。
顔を観る②
気色の繊細な色が分からない。
じゃあ、分かるところからやっていこう!
東洋医学の望面診は、
①顔全体の色味と艶
②5カ所に分けた色味と艶
③鼻梁から顎までを5つに分けた色味と艶
で観ます。(当社比)
僕の場合は、③を拡大解釈し、
肺の支配領域は印堂から眉。
心の支配領域は山根から目尻。
肝の支配領域は年上、寿上から頬骨
脾の支配領域は準頭から下顎上部
腎の支配領域は人中から下顎全体
で観てます。
上に書かれている印堂、山根、年上、寿上、準頭、人中は観相学用語ですので、現代的に書くと、
印堂=眉間
山根=鼻骨
年上、寿上=山根と準頭の間
準頭=鼻の頭
人中=鼻と上唇の間、正中線上
を指しています。
人が生まれてくる場合、側頭部から正中に向かって発達する為、それぞれの支配領域の発達の仕方で、先天的な影響、成長による影響、環境による影響が推測できます。
そして、それを背景に現在は直近の過去と現在は血色に現れ、現在と直近の未来は気色で現れると考えて顔を観ていく事で、
やっと望診の意義と面白さが分かって来ました。
顔を観る①
今となっては昔の事となりますが、
元々不器用な上に師を持たない僕は、何をどう見れば良いのか解りませんでした。
勿論、東洋医学の基本は学校で習ってましたし、霊樞、難経も読んでいましたが、今一つピンと来ないのです。
難経では、神の御業とされるこの望診。
神になる積もりは毛頭無かったので、5〜6年前まで、ほったらかしでした笑
水野南北の「南北相法」を読むと、黄帝内経・霊樞、難経よりは分かるのですが、実際に使うには自分のものではない気がして、他の参考を求めました。
霊樞から解釈し、発展させた「麻衣相法」、「麻衣相法」から「神相全篇」、「相理衝真」と顔を観る為に色々と巡る事で、やっと朧気ながら、気色の大切さ、面白さは分かりました。
梯子も、エスカレーターもないけれど根性だけはある、と言う人は全て網羅してみてください。
やる気を奮い立たせ、持続させる為には、何らかの階段が必要ですが、その階段は与えられるものよりも自分で作った方がより楽しめます。
と、言いながら…
金澤先生、稻垣先生と出会って、「はよ、出会ってたらもっと楽やったのに!」と思ってますw
形気の組み合わせ②
気が形をつくり、形と言う器の中で特徴を持った気が動きます。
その気には、個々の特徴を元にして、生長壮老死と言う盛衰があります。
この気の流れがどのような形の中で動くのかによって、又大まかに5種類に分類すると、単純に考えても25種類あるわけです。5種類の気と5種類の形。
気から生まれた形の中で、気が動く。
これが陰陽の法則の中で、その人をおおまかに表現する方法の1つです。
これを生長壮老死に分けると、同じ形気であっても更に5つに分かれ、625種類となります。
易で言う、三百八十四爻と同義の状態です。
あらゆるものを8種類の現象で単純化して表現できますので、
形気(2)→形の陰陽と気の陰陽(4)→陽形と陽気、陽形と陰気、陰形と陽気、陰形と陰気をそれぞれ図示すると、
陽形と陽気
陰形と陽気 陽形と陰気
陰形と陰気
この間の分けられないところを含めて8種類となります。
形は外から直感的に感じ取るには便利ですが、常に動いているものと同じ速度で観測する事はできません。
あくまでも、気が動いた過去の軌跡を示しているだけです。
太陽が動いた(実際には地球が動いていますが)軌跡のように。
そうすると、あくまでも過去からその人を類推する1つの指標と言うだけですので、
気(現在から未来)
血(直近の過去から直近の未来)
形(過去から現在)
と言う特徴があります。
この1項目から、全てを観測できる人もいますが、鍼灸師としてはできるだけ早く臨床に使って、具(つぶさ)にみたいので、気を見る。
それだけでは、正確性に乏しいので血まで見て、確信、断定して鍼を打つのです。
気は色で観て、血は脈で観る。
上工は神(気)を守り、下工は形を守る。
と黄帝内経には書かれていますが、
形を軽んじているわけではありません。
そこで、わざわざ陰陽二十五人という篇が著されているのだと思っています。
誰でもが同じ判断基準を持てるように、
過去、現在、未来を観測できる組み合わせが、形と気よりも気と血の方が的確だと考えていた事を示しているだけです。
徐々に内容が無端如環に近づいてきたので、この辺りの事は、そちらにも書く予定です。