顔を観る③
手順としては、
①先ず顔全体の色と光沢を観ています。
白ければ血色が悪く、非効率に血を消耗しているのか、元々作る力が弱いのか。
青ければ、何かを溜め込んで飛躍、敵対しようとしているのか、有り余って溜まっているのか。
赤ければ、怒り、活動過多か呼吸器の問題か。
黄色ければ、溜め込み過ぎか出すべきものを出せていないのか。
黒は、出すものも出せず、入れるものも入れられずに止まってしまった状態。
②は①を下地とした上で、上中下の三部位に分けて、どこに違和感があるのかを観ます。
③は五官の発育状況を観ます。
④最後に鼻梁を四分割、それ以下を腎として気色を観察します。
ちょっと面倒くさい手順ですが、こうすると東洋医学に必要な治療情報だけでなく、その人の流年(人生)も観やすくなります。
顔を観る②
気色の繊細な色が分からない。
じゃあ、分かるところからやっていこう!
東洋医学の望面診は、
①顔全体の色味と艶
②5カ所に分けた色味と艶
③鼻梁から顎までを5つに分けた色味と艶
で観ます。(当社比)
僕の場合は、③を拡大解釈し、
肺の支配領域は印堂から眉。
心の支配領域は山根から目尻。
肝の支配領域は年上、寿上から頬骨
脾の支配領域は準頭から下顎上部
腎の支配領域は人中から下顎全体
で観てます。
上に書かれている印堂、山根、年上、寿上、準頭、人中は観相学用語ですので、現代的に書くと、
印堂=眉間
山根=鼻骨
年上、寿上=山根と準頭の間
準頭=鼻の頭
人中=鼻と上唇の間、正中線上
を指しています。
人が生まれてくる場合、側頭部から正中に向かって発達する為、それぞれの支配領域の発達の仕方で、先天的な影響、成長による影響、環境による影響が推測できます。
そして、それを背景に現在は直近の過去と現在は血色に現れ、現在と直近の未来は気色で現れると考えて顔を観ていく事で、
やっと望診の意義と面白さが分かって来ました。
顔を観る①
今となっては昔の事となりますが、
元々不器用な上に師を持たない僕は、何をどう見れば良いのか解りませんでした。
勿論、東洋医学の基本は学校で習ってましたし、霊樞、難経も読んでいましたが、今一つピンと来ないのです。
難経では、神の御業とされるこの望診。
神になる積もりは毛頭無かったので、5〜6年前まで、ほったらかしでした笑
水野南北の「南北相法」を読むと、黄帝内経・霊樞、難経よりは分かるのですが、実際に使うには自分のものではない気がして、他の参考を求めました。
霊樞から解釈し、発展させた「麻衣相法」、「麻衣相法」から「神相全篇」、「相理衝真」と顔を観る為に色々と巡る事で、やっと朧気ながら、気色の大切さ、面白さは分かりました。
梯子も、エスカレーターもないけれど根性だけはある、と言う人は全て網羅してみてください。
やる気を奮い立たせ、持続させる為には、何らかの階段が必要ですが、その階段は与えられるものよりも自分で作った方がより楽しめます。
と、言いながら…
金澤先生、稻垣先生と出会って、「はよ、出会ってたらもっと楽やったのに!」と思ってますw
形気の組み合わせ②
気が形をつくり、形と言う器の中で特徴を持った気が動きます。
その気には、個々の特徴を元にして、生長壮老死と言う盛衰があります。
この気の流れがどのような形の中で動くのかによって、又大まかに5種類に分類すると、単純に考えても25種類あるわけです。5種類の気と5種類の形。
気から生まれた形の中で、気が動く。
これが陰陽の法則の中で、その人をおおまかに表現する方法の1つです。
これを生長壮老死に分けると、同じ形気であっても更に5つに分かれ、625種類となります。
易で言う、三百八十四爻と同義の状態です。
あらゆるものを8種類の現象で単純化して表現できますので、
形気(2)→形の陰陽と気の陰陽(4)→陽形と陽気、陽形と陰気、陰形と陽気、陰形と陰気をそれぞれ図示すると、
陽形と陽気
陰形と陽気 陽形と陰気
陰形と陰気
この間の分けられないところを含めて8種類となります。
形は外から直感的に感じ取るには便利ですが、常に動いているものと同じ速度で観測する事はできません。
あくまでも、気が動いた過去の軌跡を示しているだけです。
太陽が動いた(実際には地球が動いていますが)軌跡のように。
そうすると、あくまでも過去からその人を類推する1つの指標と言うだけですので、
気(現在から未来)
血(直近の過去から直近の未来)
形(過去から現在)
と言う特徴があります。
この1項目から、全てを観測できる人もいますが、鍼灸師としてはできるだけ早く臨床に使って、具(つぶさ)にみたいので、気を見る。
それだけでは、正確性に乏しいので血まで見て、確信、断定して鍼を打つのです。
気は色で観て、血は脈で観る。
上工は神(気)を守り、下工は形を守る。
と黄帝内経には書かれていますが、
形を軽んじているわけではありません。
そこで、わざわざ陰陽二十五人という篇が著されているのだと思っています。
誰でもが同じ判断基準を持てるように、
過去、現在、未来を観測できる組み合わせが、形と気よりも気と血の方が的確だと考えていた事を示しているだけです。
徐々に内容が無端如環に近づいてきたので、この辺りの事は、そちらにも書く予定です。
大東流
気を体感した初めての先生が故岡本正剛宗師でした。
大東流合気柔術の中でも、武田惣角、堀川幸道からの系統で、六方会を創始された先生。
初めてお目にかかったのは、30代の頃来阪された折、当時まだ若かった為、ビデオを見てどのくらいの技なのか興味半分で受けました。
正座されている先生が、「両手首を握ってください」と言われ、
軽く握ると、「あなたの力はそんなものなのですか?」と挑発され、
まんまと挑発に乗って思いっきり握りしめたと同時に畳に叩きつけられていました。
その時の素直な感想は「あれ?俺今全力で力入れてなかったわ!」
そうして、何度も力一杯握ると同時に天上を見上げる僕に先生は、
「何か武道をやっておられましたか?」と一言。
その意味も当時は分からずに、又握りに行くと今度は「持ち上げてみてください」
岡本先生の180くらいある身体を持ち上げると同時に「ウーッ!!」と呻って倒れる。
倒れた僕の足の裏で合気を掛けると、頭のてっぺんまで棒が入ったように硬直し、
動けなくなりました。動けなくなりながらもあまりの凄さに笑いが止まりませんw
後にある程度この原理は分かりますが、武道では「三年修行が遅れても良い師を探せ」と言われる所以もこの時に分かりました。
本物と、本物に似たものでは雲泥の差があります。
だからこそ、鍼灸もコツコツと本物に出会うまで続けられたのだと今は思っています。
そして、自分も少しずつその奥妙が得られてきていることに楽しさを感じながら。
たくさんの伝統を紡ぎ伝えてくれている人に感謝していると、久しぶりに思い出して書き殴ってみました。
来阪された折にはよく、「私は練習の後のこれ(日本酒)が楽しみで大東流を続けられたんですよ」と冗談交じりに言う、当時70歳越えた先生に何もできなかった自分を思い出します。
思う
思索、思考は脾の役割と考えるのが東洋的です。
そう考えると、前頭部痛は陽明胃経の範疇と言われますが、脾が顕在化して胃に浮き出てきたと捉える時もあって良いのではないかと思います。
そして、躁鬱やPTSDと言われる人は前頭部から頭頂部にかけて、虚実が如実に反映されている経験が多く、近年では脳脊髄液減少が見られると言った報告があるのもうなづけます。ここに溜まって動かなくなっている事が多いのかなと。
脳は心の腑と呼ばれていますが、細かく分けると、また違った見方ができるように思います。
恐れは長期間続くと脾に影響し、考えすぎるとマイナス思考(肺)に陥ります。脾が腎を責めすぎて、五行相生が逆に流れている状態です。
怒りが落ちつくと、その事について考える場合(脾が責められ過ぎて、肺の助力によって本来の思考を取り戻した状態)と新たな喜びに向かって行動する場合(肝が心のエネルギーに転換する)がよく見受けられます。
全て、前頭部から頭頂部へ流れが急に上がる場合は、症状も急で激しく、頭頂部から後頭部にかけて停滞している場合は鈍重な感覚が主体として現れているのを観る事が個人的には多いのを考えると、「医心方」で簡単に癲癇をイメージしやすく表現している事が想起されます。
どのような感情であっても、一旦思考する事によって新たな発展をするところは、東洋医学の脾と特性が似ているだけでなく、継続して思考する為に、体幹の中央や前頭部から頭頂部にかけて、気が集中し停滞する為、季肋部中央よりやお腹の真ん中にも停滞が起こるのだと思います。
プラス面では、腎と似ていながら継続して供給できる、変化の種を内包し、
マイナス面では、停滞する事で思考も行動も鈍重になりやすい事です。
考えないのも問題ですが、考えすぎも問題。
今日の悩みや後悔は今日中に捨て、反省として次に活かす事が大切ですね。